今、警部補古畑任三郎の再放送やってる!

 何回観ても面白いなぁ。

どの回も役者さんの演技に味があって、上手い!って見入っちゃうけど、 特に堺正章の回はお二人共に梨園関係でもあり、演技がもう丁々発止って感じでワクワクします。

 たぶんこれって刑事コロンボのオマージュ…と言っていいのか、和製化と言っていいのか分からないけど、脚本三谷幸喜さんの、シリアスとコミカルのさじ加減、この頃から絶好調ですね。



  先日ボランティア仲間と集まって雑談していた時の話、の別バージョン。


  同居してる親の愚痴、逆に遠方で兄弟姉妹に親の面倒を見てもらっているケースでの微妙な関係、気遣いなどで盛り上がる(笑)。



  似た者が集まるのか、世の中の親子関係なんて概ね似たようなものなのか、メンバー間では不思議と”母親がちょっと(かなり)重い悲しい”という苦痛を抱えてる人が多いです。

  偶然かもしれませんが、そのように感じているのは私を含めてみんな第1子。



   明らかに、明確な虐待をされた訳では無いけれど、長い年月の間に母親から受けた態度、言葉が静かに降り積もり、小さな石ころのように胸の奥に留まっていますという感じ。

   もちろん子供として、育てて貰った感謝もあるから、疎ましく思う気持ちに罪悪感を覚えたり。

(親自身も色んな葛藤を抱えながら人生やってきて、そんな中で培った性格云々もとやかく言われたくないですよね。神でもなし)



  子供を産み育てた経験は無くとも、

自分も歳を重ねて『それはそうだよね。この歳にして未だ未熟。親になった年頃なんてまだまだ成長期。保育のプロでも心理学者でもない。正解なんてない育児。ボタンの掛け違え、起こって当然だよね』と理解できるようにもなるんですが...。

  



  それでも。他人に同じことをされて恨むよりずっと強く、親という存在には遺恨が残るものですね。

  とっくに独立した大人になって、自分たちも母親になっているというのに、簡単にはあしらえ無い相手です。



  子無しシングルの私ですが、もしも産み育てた子供がいて、今の私が母親に抱いているような想いを、その子供も私に対して持っていると想像したら。相当に怖い。

  たって多分、私なりに一生懸命育てたんです。その中で『あの時ああしていれば。あんなことするんじゃなかった』という後悔や懺悔の気持ちもあるでしょう。

   でもそんなことは関係なく、やった事の帰結として、子供の心に石ころは溜まるんですものね。



  これは永遠に繰り返されてきた親子のテーマなんだろうなぁ。


  他の動物と比べて長い被保護期間。精神的な成人のラインも曖昧で、一生親と何らかの関わりを持ち続ける、という人間のライフスタイルが特殊なのかもしれませんね。


【夏の終わりに咲くネオンカラーセダム】

  もう十勝はすっかり秋の気配が漂っていますよ。