これまでの振り返り① | ミー

ミー

2021年9月ALSの疑いが
あると診断されました。
2020年冬頃転ぶようになり、左足が動かしにくくなっていきました。
そんな主人についての
備忘録です。

こんにちはキラキラ

 

 

いよいよ障害年金の申請も

本腰入れてやらねば…

 

 

書類を書くにあたり

初診のところから

こと細かく思いだすハメに笑い泣き

 

 

いい機会なので

振り返ってみたいと思います

 

 

最初は外ですごいこけ方をして

「大人の転び方じゃないよそれ~」

なんて言ってました

 

 

だけど今思えば

家の中でつまずいたり

派手にこけてました

 

 

だんだん左足の足首が

動きづらくなってきて

整形外科に行ったのが始まり

 

 

でもよくわからず

私の母に

「それは絶対に検査した方がいい!」

と言われたことで

本格的に調べることになりました

 


うちの母は繊細さんで

だけどだからこそ

よく気がつき

母の言うことは的中します



病院に行きたがらない

ダンナさんの背中を

押してくれました✨



それから半年

忘れもしない

確定診断をされた日

 

 

退院日で呼ばれて行ったら

看護師さんでもある

妹さんも呼ばれていて

 

 

その瞬間嫌な予感は

的中したなと思いました汗

 

 

ダンナさんは取り乱してしまう

私のために妹さんを呼んだ

と言ってたけどそれは違う

確認は未だにしてないけど

 

 

看護師で頼れる存在

そして自分が気丈にしていたかった

私と二人だったら

恐らく涙を流してたと思います泣

 

 

ダンナさんは

確定診断を受けてからが

進行がとても早かったです

 

 

あれよあれよという間に

車椅子になりました👨‍🦽

 

 

想像してた以上の速さに

心が追いつかず荒れてました

 

 

夫婦二人きりだから

全部私にきてきつかったな…

 

 

私だって気持ちが追いつかない中

一人で受け止めるのは

本当に本当にきつかった

 

 

この間まで杖で歩けてたのに

すぐに車いすになって

その頃はまだ手押しだったから

会社まで送り迎えしてました

 

 

たまたま転職しようという

タイミングで仕事をしてなくて

メンタル的にもよかったかな

 

 

これが本当に現実に

起こっていることなのか…

 

 

何度も何度も朝起きたら

夢???って思ったけど

残念ながら現実でしたあせる

 

 

そして自分が働けなくなったら

私が働くか

マンションは売って実家に住むか

その2択と言われました

 

 

私一人で介助してる状況で

私が働くってはてなマーク

 

 

これからもっともっと

介助が必要なのに

 

 

言ってること無茶苦茶でしたね

あの頃は…

 

 

旦那さんはマンションは

もう売るしかないという頭で

 

 

というのも

父親が一生懸命働いて買った家に

もう行けなくなることが 

とても悲しかったんですね汗

 

 

そして家族にも会えなくなる

 体が動かずどこにも行けなくなる

と想像したらとにかく不安で

心細かったんだと思います

 

 

元々せっかちなんで

答えを出さないと前に進めなくて

 

 

でもね

そもそも義理母の家だから

あなたが決めることじゃないよね

 

 

だけどもうそんな口を挟める

状況でもなくてショボーン

 

 

実家に行かないなら

一日でも早く働いてと言われ

とりあえず仕方がないので

面接受けて働くことにしました

 

 

その頃はALSについてあれこれ

調べ始めていたので

働くのはいいけど

その後のこともよく考えて

仕事に就きたかったんですね

 


そうは言っても働いてみたら

それはそれで気分転換になって

仕事に集中してる時は楽しくて照れ


 

だけどやっぱり私の予想通り

半年もたたないうちに

ダンナさんを置いて仕事なんて

できなくなってきました

 

 

一人で長時間いることが

だんだん不安になってるのも

感じてたし

 

 

だけど

自分が働いてと言った手前

辞めてとも言えないでしょう

だからこっそり転職先を

探し始めてましたウインク

 

 

やりたいことを一番に考えて

仕事にはついてきたけど

そんなことは言ってられない

具体的な条件を決めて探しました

 

 

フル勤務ではなく時短

通勤時間が短い

在宅でも働ける

介護に理解がある

休みやすい

 

 

長くなるので今回はこの辺でチュー