来週から始まる朝ドラ「虎に翼」の主人公、三淵嘉子元判事 | 笑う門には福来るのブログ

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【新しい連続テレビ小説「虎に翼」】

 終戦後の日本を歌で明るくした笠置シズ子の「ブギウギ」が今週で終わり、来週からは日本初の女性弁護士・裁判所長三淵嘉子さんを描く「虎に翼」が始まる。

 

 法曹界の人物を描く朝ドラは、松嶋菜々子主演による「ひまわり」以来約30年振りとなる。

 

【法曹界の女性トップランナー、三淵嘉子元判事】

 三淵嘉子さんは、1914(大正3)年11月にシンガポールで生まれる。笠置さんと同じ年の生まれ。台湾銀行に勤務する父の長女。父は民主的考えを持ち「ただ普通のお嫁さんになる女にはなるな。専門の仕事を持つために勉強して、医師か弁護士になってはどうか」と教育する。

 

 しかし戦前の当時弁護士資格は「日本臣民ニシテ・・・成年以上ノ男子タルコト」とされていた。1933(昭和8)年になりやっと弁護士法が改正され、帝国臣民ニシテ成年者タルコト」となり、女性が弁護士になる途が開かれる。

 

 しかし当時女性に門戸を開いていたのは九州帝大・東北帝大などごく僅かしか限れていて理系が中心だった。唯一明治大学専門部女子部法科の卒業生に明治大学法学部への編入を認めていて、三淵さんもその道を進むことになる。1938年明治大学を首席で卒業する。

 

 1938(昭和13)年、三淵さんほか2名が日本で初めて「高等文官試験司法科」(今の司法試験)に合格する。修習を終えて1940(昭和15)年6月に第二東京弁護士会に弁護士登録する。しかし時代は太平洋戦争中で仕事も生活も厳しい。

 

 1941年、実家に出入りしていた書生と結婚するが、夫は出征して1946年に病死する。空襲で家も焼かれ幼い息子を抱えながら更に苦しい生活を送る。

 

【家庭裁判所の創設に尽力】

 戦後になり1947年3月、男女平等の世の中になったのだから女性も司法官に採用されてしかるべきだと考え、それまで女性は司法官ほか官吏にも採用されていなかったが「どうして同じ試験を受けながら女性はなれないのか」と「裁判官採用願」を司法省に提出する。

 

 しかし直ぐには司法官にはなれず、司法省民事部に、更に新しくできた最高裁事務局民事部に入り、民法・家事審判法の立法作業に加わり、親族法・相続法の改正作業にも取り組む。

 

 1949(昭和24)年になり、4月に石渡満子さんが女性初の判事補に、門上千恵子さんが女性初の検察官に任用され、6月に三淵さんも東京地裁の判事補に任用される。1952年に名古屋地裁で初の女性判事となる。

 1956(昭和31)年に、最高裁調査官だった三淵乾太郎さん(初代最高裁長官の長男)と再婚する。そして1972(昭和47)年6月、女性で初めての裁判所長として新潟家裁所長に就任する。ついで浦和家裁所長・横浜家裁所長を経て1979(昭和54)年に定年退官する。退官するまでに5000人以上の少年少女たちと向き合ったという。

 

 ある時、女性修習生から、司法研修所の事務局長と教官が「男が命をかける司法界に女が進出するのは許せない」と宴席で発言したと聞くとこれに激怒し、日弁連と衆議院法務委員会に真相究明を申し入れたそうだ。

 

 東京地裁判事だった1963年、被爆者が原爆の責任を訴えた「原爆裁判」を担当。判決は請求棄却も、日本の裁判所で初めて「原爆投下は国際法違反」と明言した。

 

 退官後は、弁護士を開業するかたわら、法制審民法部会委員など各種委員を歴任する。1984(昭和59)年5月、69歳で亡くなる。

 

 「虎に翼」では20代の伊藤紗莉さんが主役を演じるが、どんな三淵像になるか、楽しみだ。