まだまだ寒い日が続きますが、お元気でお過ごしでしょうか。

最近、野球界のスーパースターだった清原選手が覚醒剤の使用で現行犯逮捕されました。それも自宅でという事ですから、周到に調査されていたのだと思います。本当に常用していたのだと思います。現役時代からではないかとも言われております。

覚醒剤を使用すると脳神経が麻痺してしまうので、その時に陶酔してしまうだけでなく、脳が覚えてしまい一人の力では、その後そこから抜ける、絶つことが極めて困難な状況に陥るということです。先日100㎏の覚醒剤がフェリー内の軽自動車から押収され、時価70億円相当と報じられました。悪しき資金源ですね。私たちが何を口に入れ、食するかということがこんなに人体に影響を与えていると考えると恐れさえ感じます。

「食べる」という字は、「人+良」と書きます。心身ともに健康に良いものを食したいものです。

聖書のみことばをご紹介したいと思います。

「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

               (マタイの福音書 4章 4節)

「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」       (Ⅰペテロの手紙 1章23節)

私たちは、毎日数多くを話し、聞いていると思います。しかし

愛のある、優しい心に響くことばは本当に僅かだと思います。

聖書は私たちの創造主なる神の私たち一人一人が生きていく

ために必要な愛のことばで満ちています。どうぞあなたの心で

その聖書のことばを食べて、飲んでみて下さい。

新しい年になって1ヶ月が過ぎようとしておりますが、皆様にとって良き年でありますように!

 さて昨年の暮れと新年は温暖化でありましたが、一月の後半は寒波になるとの予報が見事に的中し、福岡も39年ぶりの寒波という寒さで雪景色になりました。時々天気予報ははずれることもありますが、最近は予報が当たる確率が高いように思います。また、予報の範囲も福岡市と近郊の市単位になり、予報が細分化され、より正確な予報が提供できるよう研究されているのです。実は聖書には予報を遥かに上回る預言(予言)が歴史的に、民族的に数多く記されています。中でもイエス・キリストに関するものが多く、その全てが成就している確率は天文学的な数字だと言われております。

聖書のみことばをご紹介したいと思います。

「『マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』このすべての出来事は主が預言者を通して言われた事が成就する為であった。」

         (マタイの福音書 1章 21,22節)

「また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛が冷たくなります。・・この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それかれ、終わりの日が来ます。」

(マタイの福音書24章11~14節)

 聖書は、未来について決して明るい預言をしているのではありません。

むしろ、自然界や経済、政治等々が滅びに向かっていると記されているのです。だから大切なのは、そのような事態に直面した時に、逃れる道を歩むことができるように備えることではないでしょうか。

暖冬から一気に冬の季節になり、明日頃から急に寒くなる予報ですが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。

 さて、大相撲の九州場所が終わり横綱の日馬富士関が優勝しました。最近は横綱はモンゴル出身ばかりで、少々寂しく思いますが、モンゴル相撲も盛んなようです。日本の国技である相撲の原点は聖書にあるのではないかと密かに思っております。

 日本の神道の流れに聖書の息吹をかいま見ることができ、相撲の土俵が神社のそばに在ることに不思議な思いを感じておりました。旧約聖書のイスラエルの祖であるヤコブは神からの祝福が欲しくて格闘したと記され、「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」とあります。日本の神事に一人相撲という行事が今も残っており、「その相撲の相手が神です。」という神事なのです。あまりに不思議ではありませんか。皆様もどんな賞よりも価値のある神からの祝福が欲しいと思われませんか?

聖書のみことばをご紹介したいと思います。

「イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。『娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。』すると、女はその時から全く直った。」      (マタイの福音書 9章 22節)

「そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。『ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。』すると、彼女の娘はその時から直った。」     (マタイの福音書 15章28節)

 ここには、格闘や祝福という言葉は出てきませんが、イエスは彼女たちの信仰を讃え、祝福された事が分かります。かつてヤコブは神と格闘して祝福を得たいという信仰が勝利をしたのです。どうぞ皆様も神とイエスを知り、信じる信仰を持って人生の祝福をご自分のものになさって下さい。