END OF TOP
【横綱曙考】



悲しいとか安らかになどと言う言葉を並べるよりもその足跡を振り返ることが平成の強豪横綱曙に対する最大の賛辞だろう。高見山、小錦、とハワイ勢の名力士が生まれたが曙は少し異色だった。パワフルで的確な両手突き(これは実はかなり難しい、両手突き専門の阿炎でさえいつも成功しているとは限らない)、そのあと繰り出される肩の力の抜けた鞭のようにしなる突っ張りがまた絶品であった。曙の躍進はハワイ力士だから、巨漢力士だから、パワーがあるから、だから突っ張りが効くのだとの固定観念が当時の相撲通の目を曇らせた。実は曙が稀に見る天才的突っ張り力士であったことは後続の外国人巨漢力士が必ずしも突っ張りで大成しなかったことでもわかる。俊足の出足で追い込む理想的な押し相撲だったがそのあと連動される左おっつけ右のど輪の攻めも強烈であった。おっつけが上手いから巨漢力士にありがちな脇の甘さもなくほぼ左おっつけからの左四つ、長い腕で右上手廻しを引き(これも大雑把に肩越しから取らずおっつけて良い位置を探りながら) 時にはもろ差しにさえなって胸を合わし腰を落として押し相撲そのままの出足で寄り立てれば貴乃花も若乃花も武蔵丸も脆くも寄り倒された。複層的な押しを会得しパワーばかりでなくテクニカルな面も兼ね備えていた曙の取り口は押し相撲から四つ身への連動と配分が絶妙だった。当時の強豪大関、押し相撲の武双山と四つ身相撲の魁皇を対戦成績で圧倒していたのはその証左である。押し相撲だけでは横綱は難しいといわれるが唯一大成した理想形が横綱曙であった。そんな曙もライバル貴乃花が横綱昇進してからは力関係が逆転されてゆく。増量強化された貴乃花に突っ張りが効かなくなり廻しを引かれると弱点の腰高を突かれ引きつけられ惨敗が続いた。それでも横綱貴乃花が優勝22回に終わったのは優勝11回の曙と12回の武蔵丸の三者で優勝を分け合ったからだ。同じように24回優勝の北の湖も14回輪島や二代目若乃花と熾烈な優勝争いを演じた結果なのだろう。大鵬、新国技館以降の千代の富士、白鵬らの優勝三十回越えは一強独走の結果だと思う。「END OF TOP」は横綱曙が引退時に遺した言葉だ。「TOP(横綱)のEND(最後)」という意味かと思ったが実は「頂点での終結、最強のままで終える」という意味だったと後で知った。2000年平成12年の曙の成績 六場所皆勤 最終場所14勝1敗優勝 年間最多勝76勝14敗は休場がちながら最終場所全勝優勝した横綱白鵬を遙かに凌ぐ偉業であったと思う。まさに「END OF TOP 最強のままで終える」である。強豪横綱曙、合掌。



#曙 #大相撲 #横綱 #貴乃花 #相撲 #北の湖 #輪島 #千代の富士 #大鵬 #白鵬 #若乃花 #武蔵丸 #武双山 #魁皇