【横綱白鵬のヘンな土俵入り】

横綱白鵬がついに引退しました。かち上げ等荒々しい
相撲で最近は人気なかったですが長年相撲界を支えた
功労者であり僕は尊敬してますし大ファンでもありま
す。 前人未到の記録を打ち立てながらバッシングも激
しく悪評紛々 その横綱土俵入りも不知火型なのに最初
ちょっと雲龍型みたいなヘンな土俵入りをやると揶揄
されていました。白鵬独自の不知火型土俵入りです。





確かに左手を左脇に添える雲龍型のような所作から




あらためて不知火型のように両手を広げてせり上が
ます。協会からも伝統に乗っ取ってちゃんと正確
に務めるようたびたび注意を受けていたようです。




しかし…そもそも…
雲龍型と不知火型はあべこべに取り
違えられたという説があります!

戦前から戦後に活躍した相撲評論家 彦山光三が
「左脇に左手を添えてせり上がるのが雲龍型、両手
を広げてせり上がるのが不知火型」と公言しました。
しかし明治期から相撲を見続けてきた当時まだ存命
いた高齢の好角家が「それはあべこべではないか?」
進言しましたがなぜか当時の新聞マスコミ相撲協会
彦山説を支持、現在に至っています。

【相撲評論家 彦山光三】


ところが近年になり、幕末の横綱
不知火と鬼面山の土俵入りの写真
が発見されたのです‼️
雲龍型と伝えられている鬼面山が
両手を広げて 不知火型を標榜する
はずの横綱不知火が左脇に左手を
添えた現在の雲龍型の土俵入りを
務めている様子が写っています。

横綱不知火の土俵入りを記した文書が残っています。

「不知火(の土俵入り)は腰を落とし
右手をすべらせるようにやっ」て
両腕を広げてせり上がるという
描写があります。
「膝頭に置いた手をすーっと前に
切る」という描写もあります。



【横綱不知火・横綱鬼面山 土俵入り】


膝頭に置いた手をすーっと切って
雲龍型土俵入りからフィニッシュ
は不知火型のせり上がり…
これはまさに現在の白鵬土俵入り
そのものではないですか…!?

白鵬は大変な相撲オタクで相撲史も熟知しています。
横綱白鵬は不知火型原型 先祖還り いにしえの所作を
目指していたのではないかと勝手に推測しています。



【横綱 白鵬】

戦前戦中戦後と角界の御意見番であった彦山老人は
角聖 横綱双葉山信奉者で大横綱大鵬が引退したとき
ですら「あんなへっぴり腰で巨体にまかせた相撲は
横綱相撲ではない。双葉関の腰で取る相撲の方が
横綱相撲であり最強だ。」と譲りませんでした。


【横綱 大鵬】


不知火型雲龍型あべこべの件も明治期からの土俵入り
を見聞してきた当時まだ存命していた好角家の進言を
彦山老人は無視、昭和十五年頃 御意見番に倣う形で
相撲記者、協会もそれに同調して現在に至ります。


【横綱 双葉山】


もっとも江戸期横綱土俵入りは形式や所作は決まって
おらずそれぞれの横綱にまかせており各力士 独創的な
土俵入りが行われていたようです。そういう面でも
白鵬の横綱土俵入りは原点回帰なのかもしれません。


【横綱 太刀山】


彦山老人ばかり悪く言いましたがそもそも雲龍不知火
の取り違えは大正期の太刀山の新聞記事にあると云わ
れています。太刀山の土俵入りをある新聞は雲龍型と
記しまたある新聞は不知火型と表記して混乱を招きま
した。そしてその混沌のまま昭和を迎えたのです。
彦山老人はその混沌にあえてきっちり整理をつけたか
ったのかもしれません。もしかしたら当時の一門派閥
にも関係があったのかも…。

不知火と雲龍の江戸期幕末の土俵入りは前述した通り
各横綱独創的なものであったと推測されます。


現在の一般的な土俵入りに関しては
雲龍型 =梅ヶ谷(二代目)
不知火型 =太刀山型
と称するのが最も適合しているという説もあります。



【横綱 白鵬 雲龍型土俵入り 双葉山記念館 】

最後の写真は大分の双葉山記念館 完成記念に白鵬が
あえて雲龍型の土俵入りを披露したときのものです

雲龍型と不知火型の両方の土俵入りを経験したのは
この白鵬と横綱玉の海が急逝した直後に追悼の意味
を込めて代役を買ってでた横綱北の富士だけです。

横綱白鵬の独創的な土俵入りは横綱双葉山に対する
リスペクトが多少なりともあるのかもしれません。