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みなさんこんにちはパラッパ音譜

毎週毎週多分ためになるかも知れない

豆知識のコーナーがやってきました

いや~今週は皆サッカーネタばっかりですね

日曜だけ違う内容も何なんでパラッパあせる

サッカーについて調べてました

最後まで読んでくださいね


起源 パラッパDASH!


人類としての歴史が始まった頃から人類は

ある種のフットボールを行っていたと思われる。

新石器時代(紀元前約1万年前)の現中国地域の地層から石の球が発見され、

中国マスコミはこれをサッカーの起源として報道したが、

蹴った証拠は見つかっていない。

南米ではアマゾンの熱帯雨林からゴムが採れた為、

早くからボールを蹴る競技が行われていた。

パタゴニアやアンデスのインディオ文明からは、

様々なボールや、ボールを蹴る競技の証拠が見つかっている。

足でボールを蹴る遊戯は、

考古学的には、古代エジプト、古代ギリシャ、古代ローマ

から足でボールを蹴る人物のレリーフが発見されている

中国では戦国時代に足で鞠を蹴りあう蹴鞠(しゅくきく)という遊戯が存在したことが、

前漢末(紀元前一世紀)の「戦国策」に見える。

なお、FIFAのホームページでは最も古い形態のサッカーとして

中国の蹴鞠(しゅくきく)を載せている

文献や出土遺物でなく、

現代まで人により伝承されているものとしては、

中国の蹴鞠(しゅくきく)が日本に伝わり、

独自の発達を遂げた日本の平安京の「蹴鞠(けまり)」が最古である。

蹴を「け」、鞠を「まり」と読む。

15世紀イタリアでも、

イングランドのフットボールに良く似た

「カルチョ」(Calcio)という遊びが存在した。

この遊びがイングランドやフランスと決定的に異なる点は、

農村地帯の広い空間でなく、

都市の限られた空間である広場で行われていたことである。

そのため自ずとフィールドが限定され、

参加人数も限られたものとなり、

簡単な役割や作戦も決められていたようで、

これは現在のフットボールにかなり近い存在であったと言える。


サッカーの確立パラッパ合格


フットボールやカルチョのような遊びは近世末までヨーロッパ各地で行われていた。

ところが18世紀中頃から19世紀にかけて勃興した産業革命によって、

大量の工場労働者を生み出すために

農村の共同体が崩壊させられると次第に廃れていった。

農村の代わりにフットボールをレクリエーションとして受け入れ、

近代的な「スポーツ」として成立させたのがイングランドにおけるパブリックスクールである。

パブリックスクールでも当初は農村での遊びに近い形態で行われていたが、

次第に子弟教育の一環のスポーツとして体裁が整えられて行った。

この時点でのフットボールは学校毎にルールが異なり、

他校との試合の際はその都度ルール調整のための話し合いが持たれていた。

しかし、これでは手間もかかる上、

ルールに対する理解に齟齬を来たすため、

しばしばルール統一を目指した協議が行われた。

そのため共通ルールが1846年ケンブリッジ大学で立案された(ケンブリッジルール)。

これが現在のサッカーのルールの基になった]

こうして1850年代までにはイートン・カレッジを中心とする

「手を使うことを禁止するルール」と、

ラグビー校を中心とする「手を使うことを許可するルール」との二大勢力に収束していったが、

両者の間には依然として大きな隔たりがあった。

1863年、長きにわたる対立を解消しようと、

ロンドンで最終的なルール統一を目指した協議が開催された。

しかしながらこの協議は物別れに終わる。

ラグビー校の代表が席を立ち、

遂に2つの競技(サッカーと、ラグビー)の決別が図られたのである。

これこそがサッカー誕生の瞬間であった。

同年に、「手を使うことを禁止する」

ルールを主張していたパブリックスクールの代表者らによって、

フットボール・アソシエーション( Football Association 略称FA)が設立され、

こうしたフットボールを協会式フットボール Association Football と呼ぶようになった。

その省略形 soc に「人」を意味する -er をつけたものが soccer の語源であり、

1880年代頃から使われているといわれている。

1863年 10月26日にイギリスのロンドンにあるフリーメイソンズ・タバーンにて

FAとロンドンの12のクラブの間で会議が開かれ、

同年12月までに6回のミーティングを持って統一ルールの作成を行った。

この統一ルール作成により近代サッカーが本格的に誕生した。

このサッカー統一ルールでの世界初の試合

(つまり世界初のサッカーの試合)は、1863年12月19日に

イングランドで行われたリッチモンド対バーンズ戦で、0-0の引き分けだった。


サッカーの伝播 パラッパビックリマーク


イングランドのパブリックスクールで始められたサッカーは、

パブリックスクールのOBを中心に

早い段階からイギリス各地域(スコットランド、ウェールズ、アイルランド)に広まっていった。

1870年、ロンドンにおいて“非公式”ながら、

世界初の国際試合がイングランドとスコットランドの間で行われ、

1-1で引き分けに終わった。

1872年には、世界で最初の“公式”国際試合が、

パトリックにおいて、イングランドとスコットランドの間で実施された。

スコアは0-0で、またもや引き分けに終わった。

その後1880年代までに、

スコットランド、ウェールズ、アイルランドではサッカー協会が結成された。

19世紀後半のイギリスは世界中のあらゆる場所に進出する大英帝国であったので、

サッカーが世界中に伝播されるのに非常に都合がよかった。

サッカーは最初海外に進出するイギリス人が駐在先でプレーしたことによって伝えられた。

1880年代末までには、ベルギー、スイス、フランス、ドイツといった西ヨーロッパ、

中部ヨーロッパ、1890年代末までには東ヨーロッパや南米に、

20世紀初頭にはアジア地域にも伝播した。


いやいや

これがあるからワールドカップがあるんじゃないですか

イングランドのパブリックスクールOBのみなさん

ありがとうございますだーっ

イングランドパラッパ最高です

サッカーパラッパ大好き

がんぱれ日本日本