石造を求めて№68
沖縄県今帰仁村字運天 百按司墓(ムムジャナバカ)1500年代

運天港北東の崖中腹の洞窟を利用した5基の墓である。東側(右)から1号基、2号基、3号基の石垣囲いの墓となっている。4号基、5号基の墓口は板(かつてはチニブ)で覆われていた。
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右側より1号基、2、3号基を臨む。
1号基は一番大きく、高さ約1・8mの石垣を円弧状に積み上部も丸みを付けている。上部は開放され屋根はないが、かつては木の屋根が架けられていたらしい。

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1号基の通気孔(覗き)からの墓内部、残念ながら木棺は見れない。

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2号基の石垣の高さは約1・6mで平面はL型に囲っている。

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4号墓かつてはチニブ、又は板で墓口を覆われていたらし。木館が見えている。

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木棺(板厨子、漆塗り)は1500年前後まで用いられたらしい。サンゴ石製石厨子、陶製の厨子甕より古く、最古の木棺といわている。

先人(石工)たちは地形(風土)を上手く利用している。