中村家住宅は沖縄県北中城村大城集落にある。集落は標高約130m、周辺には石積み井泉(かー)が数多く存在する。

 屋敷は南面する緩い傾斜に立地していて、近くには中城城、護佐丸の墓もある。

 

 

 中村家住宅は18世紀中頃に建てられたといわれ、琉球王朝時代からの主屋をはじめ、あさぎ、前の屋、高倉、ふーる等、屋敷構え全体をよく残しており、1972年(昭和47年)に国の重要文化財に指定されている。

 

 屋敷は南面する傾斜地を建物部分だけ掘り込み、東、西、北の三面を土留めの石垣を積んで囲い、すーじ(南道側)に福木の屋敷林と重厚な石牆を築き、中央部に門(じょー)を開け、正面にはひんぷんを設けて、風よけの防護壁の中に建物を配置している。

 

 

 主屋(うふや、とんぐゎ)は屋敷中央の北寄りに南面して建て、南東側にあさぎ(離れ屋敷)、南側西よりに高倉(もみくら)、南西側に畜舎(めーぬや)、北面に豚舎(ふーる)、南西側に井戸(かー)を配している。

 

 屋敷面積は1557㎡、主屋:桁行10.71m、梁間9.88m。とんぐゎ:桁行8.48m、梁間8.71m。あさぎ:桁行8.6m、梁間7.5m、寄棟本瓦葺き。

 

 建物形式は礎石に柱を建て(石場建て)土台を使用しない(琉球)沖縄で貫木屋(ぬちじゃー)と呼ばれる典型的な形式である。構造部材はくぎを使用せず貫を多用し楔で締め付ける構法である。

 

 各室は雨端を介して中庭に大きく開かれていて、光と風を呼び込む。主屋とあさぎと高倉、ひんぷんに囲まれた空間配置はなぜか中国の四合院住宅を想起させる。

 

 

 中庭空間:左あさぎ 前ひんぷん 右高倉

 

 資料によると、あさぎ、高倉、畜舎等は1975年(昭和50年)から1979年(昭和54年)にかけて。主屋は1987年(昭和62年)から1989年(平成元年)にかけて、保存修理工事が行われている。

 

 

 あさぎから見た北東側の掘り込まれた敷地(土留め石垣)

 

 中村家住宅は1850年頃の建物といわれていますが、階級によって家屋制限がある時代、当時の農民は「穴屋」しか許されていなかった時代に中村家住宅がなぜ「貫木屋」を許されたのか不思議な点もありますが・・・

 興味深いのは、琉球王朝時代から貫木屋の移築(中村家住宅は主屋と離れを1750年頃首里士族から購入し移築)が行われたといわれ、先のレポート(貫木屋を求めてその2)、上江洲家住宅も明治36年に首里の家屋を購入してその古材でとんぐゎを改築して、うふやに合体させたといわれる。我々の先人たちは琉球王朝時代から古材を再利用する。資源を大切に使う「持続可能な社会」をめざしていた。

 

 

 西側からの屋根の眺め(寄棟屋根は風抵抗を少なくする)

 

 今年は台風の当たり年、屋敷を囲む福木林は台風時の最大風速を4分の1に抑える効果があるといわる。一方で平日の微風はよく通し、涼風を運ぶ。福木は「福をもたらす木」と言われ、昔から屋敷囲いや防風林に利用されて人家を護り、人々の生活の中に溶け込んできた木である。

 

 参考文献:中村家住宅主屋・宅地修理工事報告書(平成元年九月)