石造を求めて №104「上門の石垣」沖縄県南城市玉城船越(富名腰)
上門家(うぃじょうやー)の始祖(川崎利兵衛)は泉州の人で鹿児島を経由して琉球に渡ってきた人と言われています。琉球王府に仕え(尚寧王時代)糸数親雲上(ペーチン)と名乗りました。
島尻有数の大富豪となり、船越最大の門中として栄えている。屋敷を囲む石垣は沖縄戦を免れ今日に残されている。多くの石工と人工を動員し一年以上かけて造られたと伝わっています。石垣の高さは目測で2.5mはある。面積はおよそ1000坪はあると思われる。琉球民家の屋敷でこのような大規模な石垣は他に例を見ない。
近くには船越大川(フナクシウッカー)がある。かつては、屋敷前(南側)には広大な水田地帯が広がっていたらしい。
門の石垣は緩やかなカーブを描く 左側のヒンプン幅は沖縄で一番大きい?
南西側からの眺め 西門(イリジョウ)の石垣及び石畳
西門と3連式フール(西壁側) 北西側からの眺め
北側石垣と石畳み道 現地案内版
西側の民家、間口、ヒンプンは広い 左民家の道(緑道)突き当り壁の石敢當
*写真は2018年1月撮影