1930年代の「ぼくの映画の本棚」で、監督の年齢に注目
「ぼくの映画の本棚」で、最も古い、
これは第二次世界大戦以前の映画、
日本映画の始まり、草創期、スタート時の映画。
おそらく欧米から撮影機材を輸入し撮影した、モノクロ、サイレント
(無声映画・弁士の存在)、「活動写真」「シネマ」「キネマ」と呼ばれる、
明治、大正、昭和初期、古めかしい、セピア色の写真に映る老人のイメージ。
薄暗い奥座敷に並べて飾られてある、曾祖父など先祖代々の遺影を連想させる……、
けれども、その時代のことを調べ、その時代にタイム・スリップしてみると、
まるで違う景色が見えてくる。
「ぼくの映画の本棚」で最も古い映画だが、当時は最も新しい旬の映画だった、
その監督の年齢は、
1932年 大人の見る絵本 生まれてはみたけれど 監督:小津安二郎 29歳
1933年 滝の白糸 監督:溝口健二 35歳
1934年 隣の八重ちゃん 監督:島津保次郎 37歳
1935年 丹下左膳餘話 百萬両の壺 監督:山中貞雄 26歳
1937年 新しき土 監督:伊丹万作 37歳
風の中の子供 監督:清水宏 34歳
1939年 鴛鴦歌合戦 監督:マキノ雅博 31歳
いずれも20代30代の青年で、ともかく若いのだ。今でこそ古典の名監督の名前だが、当時は試行錯誤しながら、新しい、実験的な試みをする、最先端を行く若者たちばかりだったのだ。
特に山中貞雄監督は、前述に継いで、27歳で「河内山宗俊」を、28で「人情紙風船」を撮った。
そして山中は翌年、29歳で戦死する。
あの人生の哀歓を深く描いた「人情紙風船」が、28歳の青年監督による作品だったとは。
