4月8日、昭和39年(1964年)生まれの僕は56歳になりました。昭和39年と言えば東京オリンピックの年、新幹線、首都高速道路、高級ホテルと新たなインフラが整備され、正に高度経済成長期のど真ん中でした。皇位継承時の象徴とされる3種の神器になぞられ、新3種の神器と言われる、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が家庭に普及していたのです。母と共に自宅の白黒テレビでアポロ月面到着を見た記憶があります。そして、3Cと言われるカラーテレビ、車、クーラーの普及へと進むのです。僕が両親と暮らした「生活」は、時間と共に便利に、そして楽になっていったのです。父は中小企業の会社員、母は専業主婦、今思えば大変だったと思いますが、子供3人を私立大学に行かせることも出来たのです。国の経済成長と共に、毎年給料が上がり、両親の夢であった子供3人の5人家族、庭付き一戸建て、自家用車。夢は叶えられるものであったです。
大学を卒業し、衆議院議員の秘書になったのは昭和63年。大卒の初任給は18万円。正にバブルの最中。高級マンション、外車、リゾート、土地、株。物の価値が日々高まり、余裕資金と知識があれば、お金が増えていったのです。そして、昭和から平成、バブルの崩壊、リーマンショックへと続くのです。横浜市会議員に立候補したのが平成7年(1995年)、初当選したのは平成11年(1999年)。自ら政治家として活動し始めた時から、経済の成長は鈍化し、令和2年の大卒初任給は21万円なのです。30年間で大卒平均初任給が3万円しか増えていない、これが何よりの証明で、若者にはお金がないのです。
個人の努力で勝ち取れるものと、国家の施策なくしては、勝ち取れないものとがあります。もちろん、いつの時代にも賢く、行動力がある人がいて、どんな社会状況であろうが、成功者はいます。その一部の成功者を取り上げて、民主主義国家日本、資本主義国家日本は、チャンスに溢れ、その結果、経済がスピード感を持って成長し、国民全体として豊かになっていると捉えるのは無理があるのです。中間層という普通に努力する人が、どんな将来があるのか、どんな未来が待っているのか、描けないでいるのです。ましてや、中間層に成長による恩恵が無ければ意味がありません。中間層の視点で経済が語られ、公平でチャンスのある経済成長社会が必要なのです。
今の若者は、海外留学に興味を持っていない、パスポートすら持っていない。車を欲しがらない、運転免許書を持っていない。ファストファッションにしか興味を示さない。自宅所有意識が低い。結婚したがらない、子供をたくさん産みたがらない・・・、まぁ、色々な言われ方をしています。でも、大卒初任給が30年間で3万円しか、伸びていない社会で、お金がかかることを選択する事が出来るわけがありません。でも、お金が無いことを理由にすると心が折れるし、侘しい気持ちになってしまうから、時代に合わせた「心持」に変化せざるお得ないのではないでしょうか。インターネットがあるから、留学しなくてもわかる、海外に行かなくてもわかる。公共交通機関があるから、環境に悪いから車はいらない。体に楽だから、機能的だから服はそれで充分。リモートワークもあるし、色々な場所に住んでみるのも悪くない。家庭だけが社会の構成要素ではないはず。社会貢献の為に子供を産み育てるのではないし、他にも社会貢献はある。
個人が行う普通の努力は当然として、その上で経済が成長し、初任給が上がる、給料が上がる、若い時から多少の余裕資金があるという状況にあったなら、果たして「心持」の変化が起きていたのだろうか。もちろん個人の選択なので、経済が上り調子でも「心持」の変化を起こす人はいます。しかし、それは積極的変化であって、せざるお得ない状況での変化ではありません。振り返って僕は、若者にこんな「心持」の変化をきたさせる為に政治の世界に入ったのではありません。この30年は、僕が政治の世界で過ごした30年でもあり、責任の一端があるのです。
新型コロナウイルスという見えない敵と戦っている今、デジタル社会への変革が出来ていないことによって、経済も社会生活も大きなダメージを受けています。医学的見地でのコロナ対策は別として、本来コロナ以前に成し遂げる必要性があった社会システム改革が出来ていないことによって、社会的弱者にしわ寄せがいっているのです。例えば、図書館が閉鎖されています。子供たちは家庭に居ることを余儀なくされているにも関わらず、本を借りることも出来ません。なら、本屋で、ネットで買えば良いではないか、いつでも買えるはず。本当にそれで良いのでしょうか。知的公平性の担保は何より大切なはず、電子図書館があれば、解決できるのです。直に出来ることは、直にやればよいと思います。直に出来ないことについては、自粛要請がなされているこの期間に、実体験をもとにして何をしなくてはいけないのか、優先順位はどうするのか、整理しておくことが必要だと思います。行動することには制限がかかっていますが、調べること、考えることには、制限はありません。
ただ、考える際に忘れてはならないことがあります。というか、気づかされたことでもありますが、「人は弱い」ということです。誰も見ていない所での個人の努力というのがリモートの特徴です。手を抜くことも、ふりをすることも出来ます。つまり自分をコントロールすることが出来ない人が出るという事です。つまり、リモートは格差を広げる要因を持っているという事なのです。僕は、機会の平等は必要と思いますが、結果の平等を求めてません。でも、格差の要因があるなら、人から怒られる仕組み、褒められる仕組みといった、コントロールされる仕組みを内在させることも大切だと思うのです。コロナ後の社会はどうあるべきなのか、この機会に皆で考えていこうではありませんか。多摩大学ルール形成戦略研究所福田教室で皆さんの考えをまとめてみたいと思います。是非、ご意見をお寄せください(宛先:fukuda@fukudamineyuki.com)
4月8日、緊急事態宣言下で56歳の誕生日を迎えての思いはとしては、健康な人たちでアフターコロナに新たな社会を築かなくては、亡くなった方々に申し訳が無いという事です。そして、僕の誓いは「アフターコロナでのデジタル社会変革」です。通常時のスピード感のある変革を疎かにすれば、緊急時に右往左往するだけです。それは見苦しいものと映ります。誇り高き日本人として世界に見苦しい姿を見せたくありません。



