ようやくブログを書く気持ちになりました。
前回、
5/14に姉が急性心不全で
突然亡くなってしまったことを書きました。
その時、母は入院中で
5/16に姉が亡くなったことを伝えました。
そして、5/25に母も逝ってしまったのです。
いやぁ、きつかった。
というか、今もきつい状態ですが
海底を這っているような感じで
ここまでダメージを受けたのは初めて。
5月の仕事は全てキャンセルをさせてもらい
姉の会社に行き、取引先との対応や
母のお見舞い、
葬儀後の手続きなどに追われていました。
そして、運命の5/25
この日の日記にはこう書いてあります。
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20:30に母が亡くなった。
死んでいくとはこういうことか
と学ぶことができた。
朝、いつものように電話をしても
なかなか出ない。
2回目のコールで出てくれた。
というか、看護師さんが繋いでくれたんだと思う。
いつもの声ではなかった。
もっとドスの効いたような声
それでも、大丈夫?と聞くと
大丈夫との返事。
~中略~
病院へ行くと、
母は僕のことは分かり
少しだけ会話もできたように思う。
何度も「ありがとう」と
口にしてくれた。
きっと、本当にそう思ってくれていたんだろう。
酸素マスクを嫌がり
手ではねのけてしまう。
ずっと手を握り、色々なことを話した。
すると、時々力強く握ってくれ
ちゃんと話が伝わっていることが分かった。
僕の仕事が忙しくなるから
お母さんに手伝ってもらいたいと言うと
握った手に力が加わり、
僕が黙って旅行会社を辞めたことで
ショックだったよね。と言うと
またまた力が強くなったりと
会話が出来ているな、と感じた。
面会時間は17:00までなので
17時の段階で帰ろうかなと思ったけど
マスクを外してしまうので
やはり泊まったほうがいいなと思い
手続きをした。
結果として、付き添いをしてよかった。
もし付き添わなかったら
なぜあの時、帰ってしまったんだろう?
なぜ、自分のことを優先したんだろう?
と後悔しただろう。
本当に最期の場面を見ることができて良かった。
ずっと手を握りながら眠りにつけるなんて
最高に幸せだと思う。
息子が手を握っているんだから
これ以上、幸せなことはないはず。
その後、先生から
モルヒネ注射の打診があったのでお願いした。
するとスヤスヤと眠るような感じになり
呼吸が浅く、長くなり、小さくなり
20:30に夜勤の医師が来て
亡くなったことを伝えられた。
不思議と涙は出ない。
義兄に電話をすると
わざわざ来てくれた。
~中略~
明日からまた怒涛の日々が続くだろう。
やり抜かなくちゃ。
今、0:38
少し身体を休めます。
お母さん、産んでくれてありがとう。
お母さんの子供で良かったよ。
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無事に告別式、葬儀を終えました。
早く日常に戻したい。
私が落ち込んでいる姿を見たら
母も姉も心配するでしょうから。