令和の時代、
電車に乗っている人は、ほぼ携帯を見ています。
昭和の時代は、
新聞紙を縦に半分に折っている人や
マンガ本を読んでいる人が多くいました。
今は全て携帯で事が足りる時代。
昔は会えない人がいたら
駅の伝言板を使っていましたが
もう見かけることはなくなりました。
グーグルマップがあれば
待ち合わせ場所に迷うことなく行くことができます。
昔、イタリアへ海外添乗をした時、
ガイドさんとはランチのレストランで
会うことになっていました。
レストランの前まではバスが入れないので
かなり手前で降りて歩くことに。
初めてのイタリア
初めての土地
右も左もわからないまま降ろされ
お客様を誘導する時ほど怖いものはなかった。
不安オーラは出せないので
必死の形相で家のポストの番地を見ながら
目的まで誘導したことがあります。
それに比べたら、今は天国
何かあってもすぐに連絡できますし
お客様のことを考えたら、
今の時代の方が良いのは決まっています。
しかし、
便利さと引き換えに失うものがあるのも事実。
携帯がない時代は
自分で何とかしなければいけないという
使命感
責任感
腹を括る、といった覚悟がありました。
一方、いつでも連絡ができる時代は
困ったらすぐに聞けばいい、
といった安直さを生みがちです。
もしかしたら
携帯がない時代の方が、
成長につながっていたのかもしれません。
スマホの登場で
私たちは何か困ったことがあれば
Google先生に質問をします。
Google先生は的確に答えてくれますが
それと引き換えに
私たちは
漢字の能力と
記憶力が奪われたと言われています。
確かに、漢字を書けなくなりました。
読むことはできますが、
いざ書こうと思うと、
あれっ?と手が止まります。
そして
昔は家族、友人の電話番号を覚えていたのに
今は自分の携帯番号しか出てきません。
もし、スマホを紛失してしまったら・・・
恐ろしいですが
何もできなくなってしまうかもしれません。