「解散処分」を顧みる | 人生の目的とは何か?  人生の目的は 成仏 にある。

人生の目的とは何か?  人生の目的は 成仏 にある。

将来、日本、中国、インド及び 世界中の人々が
必ず実践する究極の方法が、ここに書かれてます!!\(^^)/
他事(邪宗の執着)を捨て、
日蓮大聖人を信じ 南無妙法蓮華経と唱えましょう(^人^)

この間のことを顧みれば、

昭和四十九年八月十二日には、

顕正会(当時妙信講)に対し、

理不尽なる解散処分が下された。

 

その処分理由は

「国立戒壇の名称を

使用しない旨の

宗門の公式決定に違反し、

さらに正本堂を

御遺命の戒壇と定めた訓諭に異議を唱えたゆえに」

というものであった。

 

すなわち、

 

妙信講は

国立戒壇を主張し、

正本堂を認めないから解散処分にした、

ということです。

 

この解散処分は、

信徒団体にとっては

まさに死罪に等しいものです。

 

そうでしょ。

その処分内容はどういうものかというと――

 

本山登山は禁止する。

御本尊の下附はしない。葬儀に僧侶を派遣しない。

妙信講が所属する末寺妙縁寺には出入を禁ずる――

というものであった。

 

これで命脈を保てる信徒団体はあり得ない。

 

この解散処分は

池田大作が宗門に

なさしめたものです。

 

彼は顕正会が存在する限り、

正本堂のたばかりは必ず露見すると恐れて、

顕正会を抹殺せんとしたのです。

 

この「宣告書」を手にしたとき、私の胸には

 

「大事な御遺命が

破壊されんとしているとき、

妙信講が安穏であっては、

いかにも日蓮大聖人様に申しわけない。

 

これで一分でも申しわけが立つ。

 

御遺命を守るに

『懈怠の弟子』との

お叱りだけは免れる」

との思いが湧いた。

 

だが、

広宣流布はいったいどうなるのか――。

 

御遺命に背いて

平然としている

学会・宗門に、

広宣流布への大道念などあるわけがない。

 

このとき私は

「遥拝勤行で

広宣流布の御奉公を

貫かん」と決意した。