「心ってないんですよ」
そう言い切る1人の学者がいます。
脳科学的かつ論理的に説明したものを
まとめました。
長いですが、ためになると思うので
読んでみてください。
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心は存在しない。
心はどうやって強くしたらいいんですか?
と言われることがあるが、
ないものを、どうやって強くするんですか?
ということだ。
例えるなら、「台風」がないのと同じ。
台風というのは、
「全体の気圧システムのなかで起きている
1つの現象そのもの」のことを言う。
台風はどこにありますか?と問われて、
「台風の目」をさすのも間違いだし、
はしっこをさしても、
それはただの風だから間違いだし、
(さらに端っこは「そよ風」になる)
一番強い風の部分をさしても、
それは台風ではない。
全体としてのいろいろなものが集まった統合に対して
なんとなく付けられた名前が「台風」である。
これをゲシュタルトという。
※ゲシュタルトとは?
《形態・姿などの意》知覚現象や
認識活動を説明する概念で、
部分の総和としてとらえられない
合体構造に備わっている、
特有の全体的構造をいう。形態。
(デジタル大辞泉の解説より引用)
心も同じである。
「心を指させ」と言われて、
させる人はいない。
心そのものは、現象につけられた名前である。
単なる現象につけられたものを
強くすることもできなければ、
強くする意味もない。
心が、まるで一つの実体があるもののように
思ってしまうこと自体が間違いである。
では、悩みとか不安の正体は何なのか?
それもまったく同じ理屈である。
悩みや不安は、心という現象のなかの
サブ現象のことを言う。
「現象の中の現象」である。
つまり、漠然とした何らかの感情というものの
1つのゲシュタルトにつけられた名前にすぎない。
「悩み」という名前が一人歩きして、
人は、悩みの解決方法を知りたがるが、
それは単なる「名前」であり「現象」である。
現象に対して解決するのはカンタン。
これは2500年前に釈迦が説いたことと同じで、
「心がある」と思っているからいけないのだ。
「悩みや不安が在ると思っているからいけない」のである。
要は、「思うのをやめなさい」
ということである。
それが答えです。
でも、「そんな冷たいこと言われても…
やっぱり悩むときは悩んでしまいます」
とふつうは思うだろう。
うつ病の人に、「うつ、やめればいいじゃん」と言っても、
「やめられないから、どうやってやめられるか知りたいんです」
となる。
しかし、突き放すような厳しい答えが、
まさに「真の答え」なのである。
では、人が悩みや不安にとらわれる理由は何か?
それは、人がバカだからである。
なぜバカなのか。
本来「無いもの」に囚われているからである。
何度も言うが、悩みや不安は存在していない、
ただの「現象」である。
それが、さも存在しているかのように
勘違いしているからいけないのだ。
それが、原因そのものである。
じゃ、なんで、そういうことが起きるかというと、
それは単純に脳内の情報処理の問題である。
もう一度言います。
「悩み」や「不安」は
脳内の情報処理の問題なのだ。
不安や恐怖を生み起こす場所は、
情動中枢、つまり「大脳辺縁系」である。
特に、「海馬」と「偏桃体」が、
不安や恐怖の度合いを
強めたり弱めたりするのだが、
海馬と偏桃体の情報処理を利用して、
不安や恐怖といった感情が出てくる。
「悩み」もその一つである。
ただ、悩みに関しては、言葉が抽象度の高い
前頭前野的なものを悩みといっているから、
分けて考えたほうがいい。
悩みと不安を一緒にすると問題がある。
例えば、借金まみれの人が、
「明日までに5万円返済しないとヤバいんです」
と悩んでいたとしよう。
「じゃあ、なんとかして集めてきなさい」
という答えしかない。
未来を占い師に相談したところで
どうしようもないし、
誰かに慰めてもらっている場合でもない。
本来の意味での悩みというのは、
「何らかの問題がある、そして、
その問題を解決するために思考している状態」
のことを言う。
それは何の問題もないのだ。
逆に、それをやめてしまって
「もう考えるのやーめた!寝ちゃえ!」
と言われたらば、
借金取りからしたらいい迷惑なのだから、
そういう意味での悩みならば、
悩みはあっていいのだ。
一般的によく言われる悩みというのは、
そういうものではない。
「問題そのものを解決すればいいのに、
それとは別に浮かんでくる情動のようなもの」
それを悩みと言っていることが多い。
それは「不安と同じ」になる。
つまり、情動的な情報処理の話だ。
私が言っているのは、前頭前野ではなく、
偏桃体を中心とした
大脳辺縁系の情報処理としての悩み、
そして、不安みたいなもの、
これがどういうふうに起こされるか、
ということである。
もちろん、その実体はないけれども、
その現象が影響を与えるのはあたりまえで、
台風の実体がないといっても、
現実は、風で家は飛んでしまっている。
それは実体(台風)というものを指さしたときに、
指さすことそのものに意味がないということであり、
それ(台風)が現象として
存在しないということでもないし、
止めようがないということでもない。
悩みは、それとまったく同じである。
では、この場合の悩みとか不安といったものは、
どこから出てくるかというと、
これは明らかに偏桃体と
海馬の連係プレーから出てくる。
海馬というのは、短期記憶と長期記憶を
つかさどるところである。
短ければ1~2日、
長いと3か月~半年くらいの
記憶を置いておく場所が海馬である。
そして、ものによって
これが重要だと判断した場合は、
「側頭葉」に書き込む
仕事をやるところでもある。
偏桃体の仕事は、その情動の強さを
強くしたり弱くしたりする。
海馬と偏桃体の連携プレー。
これが人の情動の部分を強くする。
このとき、海馬が勝っているということは、
必ず記憶が勝っているということである。
過去の失敗なんかは、
その記憶の一つである。
私たちは、失敗を元に記憶を作り、
進化してきた生物だ。
上手くいったことは
覚えておかなくてもいいのだ。
上手くいったということは、
自分でできるということで、
自分でできることをわざわざ覚えなくても
次だってできるわけだから。
ところが、失敗した場合は、
次は、失敗を避けないといけない。
避けるためには覚えておかないといけない。
だから、失敗をベースにして、
記憶を作り上げている生物なのである。
でなければ、自然淘汰の世界では
絶命してしまっている。
成功したことだけを覚えて、
失敗を全部忘れていたら、
何度も失敗しつづけて人類は滅びる。
ただし、ここで言う失敗というのは、
資本主義の時代の前だから、
例えば、「株式公開に失敗した」という失敗
とはちょっと違い、
生物科学的に、命に別状が
あるかないかのレベルの話であり、
そういった生得的なものは、
遺伝子が覚えている。
通常、私たちがいう失敗を示唆するもの、
もしくは、脳がわざわざ
覚えておかなければいけないものは、
「自分が生きている間に起きた
出来事のなかで失敗したこと」をいう。
「脳にとっての失敗」は、
「予期からはずれて起きた結果」
を失敗という。
つまり、予想がはずれたときである。
だから、社会的、経済的な
意味の失敗とはちょっと違う。
もう一度言うけれども、
私たちが進化に成功してきたのは、
失敗の記憶、それも次を避けるように
ある程度、偏桃体が情動の強さを
増幅するような形で記憶されてきたわけで、
まったく同じ体験は2度とないのだが、
ほんのちょっと似たような出来事があったときに、
「これは前の体験と似ている…うわぁ、ヤバいかも。
イヤな予感がする…不安だ…」
と思うようなシステムが
できあがっているから、
私たちは進化してきたのだ。
ということは、
不安とか悩み、恐怖があるのは、
イイことだと思いませんか?
ただし、進化という枠組みの中では、
不安、悩み、恐怖、といったものは、
重要な役割をもってきたわけだから、
そうカンタンには消せません。
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と、こんな感じです。
悩み、不安、恐怖は、
進化の過程で必要だったわけですから、
カンタンには消せないけれども、
世の中には、解決できない悩みはない、
と、ぼくは、ぼくのメンターや
「世界一やさしい問題解決の授業」
という本から学びました。
悩みを細分化して
一個一個かたづけていけば、
必ず解決するはずです。
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●編集後記
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というか、
今日の話、よ~く読んで理解すると、
「なーんや。そういうことか!」って
悩んでいることが、
バカらしくなりませんでした?