ぼくが米国への学生ビザを取得したのは2010年の8月16日。
これに関する手順を記録しておく。
まず必要なのはI-20と呼ばれる書類。これは留学を希望する本人が申請するのではなく、大学がUS Department of Justiceから取得するものなので、ぼくがしたことは、資金に関する書類を大学へ提出すること。大学から送られてきたフォームに必要なお金とその資金源に関する情報を記入、あとは英文の残高証明をスキャンしてPDFで大学Admission Officeへ。
ぼくの経験した問題は、当初用意した残高証明が日本の銀行の定期預金だったため、「この資金が必要なときに引き出せるものである」ことを証明しなければならなかったこと。結局、定期を崩して普通預金に移し、その残高証明をもらったのだがこれに時間が掛かった。
書類を受け取った後、大学側はI-20を学生へ送付。ここに書かれているSEVIS番号というのを取得することで、米国大使館へのビザ面接のアポを入れることができる。なお、ぼくが行く大学の場合は、I-20の原本を受け取る前にメールでこのSEVIS番号を知らせてくれたので、実際にI-20が届く前にアポを設定することができた。
ロンドンの場合、アポは電話で取ることになる。この通話料が高い(£1.20/分)。学生ビザ(F-1)の場合、面接はだいたい5-6日営業日待ち。要するに1週間と少し。ぼくがアポを設定したのは5日、面接は14日だった。この予約を入れるときに、アポ設定料金$140.00が必要。電話口でのカード払いなので、クレジットカードかデビットカードを手元に準備。
アポの設定の後、必要な書類や作業がいくつか。1つはSEVIS Feeと呼ばれる、ビザ申請料金$200.00の支払い、もう1つはとてもめんどくさいDS-160というオンライン書類の記入だ。
SEVIS Fee($200)は、アポ設定料($140)とは別に必要で、なんてずるいお金の稼ぎ方なんだと憤らないわけではないのだが、500ポンド(7万円程度)払わせる英国での学生ビザ延長に比べれば半額だ。これは、米国大使館のウェブサイトから、ビザに関するページへ飛ぶことで支払いが可能。ちなみにSEVIS Feeのレシートをプリントして持っていかないといけないので要プリンター。
DS-160はクセモノ。完了まではとても長い道のりだ。写真をアップしたり、学歴、職務経歴、米国渡航暦、犯罪歴、両親の情報などなど、こういうのは面倒だけれど必要なんだよなあ。大きな注意点は、このウェブサイトがよくダウンするので、入力した情報をこまめに保存しないと、毎度1からやり直す羽目になること。保存というのも、ただ画面上の保存ボタンを押すだけでなく、それまで入力した情報を特殊な形式のファイルで自分のPCに保存しないといけない。保存しておけば、次回はそのファイルをアップロードすることでそこまでの入力を省略できる。このDS-160も入力完了したページを印刷する必要があるので、ここでも要プリンター。
ビザ面接当日は8時に在ロンドン米国大使館。入館までのセキュリティチェックは空港よりも厳重。携帯や電子機器の持込は一切禁止。アポ用紙をプリントしてきていないと入館不可。なお、7時40分の時点で30人程度が並んでいた。
いったん入館してしまえば、あとはとてもスピーディーに審査プロセスは進む。まず、1つ目の窓口で自分の番号が呼ばれるのをしばし待つ。書類の確認があり、指紋の採取が行われる。ぼくはNS-160入力時にWebからアップした自分の写真が、メガネをかけていたためNGになり、証明写真を取り直した。フォトブースは館内にあり、値段は4ポンド。
これをクリアすると、次の窓口へ呼ばれるのを待つ。簡単な質問が3,4点あり、その場でビザは承認される。
【質問】
学部では何を勉強した? → Human Sciences
アメリカでは何を勉強する? → MBA
修了後の予定は? → 米国を去る意図を伝える
帰り際に、パスポートを家へ郵送してもらう手続きがあり終了。ただし、このときキャッシュは受け付けてくれないのでクレジットカードかデビットカードが必要。送料16ポンド、午前中指定で5ポンド増。
終わってみると、9時15分。入館してからは1時間未満で手続きは済む。これが英国Home Officeであれば3時間では済まないところなので、効率の良さに惚れ惚れしてしまった。さらには、翌日には携帯にテキストが入り、パスポートが発送されたことを知らされる。受け取りはその翌日、つまり面接から2日目。ちなみにこれが英国ビザであれば、早くて3週間かかる。
以上、まとめると、
1.資金証明を大学に送りI-20取得、
2.大使館アポ設定(アポ代支払い)、
3.SEVIS Fee支払い、
4.NS-160記入、
5.面接
そしてビザ取得、となる。
申請する場所や本人のバックグラウンドによって多少の差はあると思われるが、
全般的には、とても効率的にデザインされたビザ申請プロセスなんじゃないだろうか。
寝る前の日経ビジネス。
1つ目の記事はそれ以上出世できないことに気付いてしまう50代の話。そうすると組織にしがみつくしか生きていく方法がないと気付いてしまうんだとさ。「可能性がなくなるっていうのは、結構しんどい」と文中の50代は言う。精神科医の小此木氏はこれを「上昇停止症候群」と名付けたり。
なんだか象徴的なセリフ。「長いこと1つの組織でずっと過ごしてくるとね、だんだんと自分の市場価値みたいなものが分かってくる。まぁ、40代後半から何となくそれは分かってくるんですけど、まだね、その時はかすかな光みたいなものが見えるわけ。でもね、さすがに50代になるとそれが全く見えなくなる」
“市場価値”を悟ったエリートの悲哀と希望 (40代と50代を隔てるタイムリミット)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100720/215500/?P=1
これとリンクしていると思ったのが、最近売れてるらしきD. Pinkのモチベーション3.0に関するインタビュー記事。これが言わんとしているのは、報酬によって生まれる外発的動機というのは、報酬をもらった後で低下する。自分の仕事に習熟したいという内発的動機こそが持続する、と。また、外発的な動機は、報酬をもらうために下手をこかないようにと、仕事を無難なものに終始させ、クリエイティビティを低下させる傾向があるという。
やる気は「お金」では買えない (「上手くなりたい」が「やる気」を生む)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100723/215569/
つまりは40代後半まで、自分はどこまでいけるかな、と希望を見ながらがんばってきた企業戦士(という表現が古いのかどうだか知らないが)のおじ様たち(女性で当てはまる人は少ない気がする)は、「どこまで」に当たるような「地位」「給与」「役職」という外発的動機で長い間一生懸命走ってきて、それに終わりが見えちゃうことでへこんでしまう、ということだ。
(余談) この瞬間に、前の事務所のおっさん(てるひこ55歳)を思い出してしまうわけだが、そういや彼もよく「昔はもっとガツガツやってたんだけどねー」とか言ってた。最もぼくにはその様子が全く想像もつかないくらい、彼は仕事ができなかったわけなんだが。(余談終わり)
で、こういうモチベーションについて考えるときに良く思うことなんだけど、例えば韓国企業や中国企業は今元気だと言われることが多いと思うのだけど、これは彼らの経済っていうのがまだ「目の前にニンジンがぶら下がった状態」にあるんだと思う。もちろんこの2つの国はそれぞれ違うステージにあるわけだが。
社員は自分ががんばることで、会社は発展していくし、給与も役職も上がっていく。そしてそのことに対して日本人よりずっとアツく燃えることができるんじゃないか。日本を見ていて思うことは「えらくなりたい」とか「金持ちになりたい」よりも、少し落ち着いた段階に差し掛かっていて、割と「快適に過ごしたい」的な欲求が先に立ってるのじゃないかと。
ま、そんなことを思ってるとサムスンを取り上げた記事が目に付くわけで。これは、でもそのうち燃え尽きるよなあと思ってしまうぼくは、自分自身の定義によればとても日本人らしい考え方をしている。
取引先は見た! サムスンマンと日本企業社員の決定的な“差”
語学、情報収集、生存競争…。甘えなき「実行力」のすごみ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100707/215307/
とりあえずもう寝なくちゃいけない時間なので、乱暴に思う点をまとめてしまえば、このあたりの働き方のベースとなってきた考え方をひっくるめて、「アメとムチによるモチベーション2.0」というオペレーションシステムが世界を動かしてきたのだと見るダニエル・ピンクの考え方にぼくは賛同。
一方で、じゃあどうしたら良いのかという点において、「子どもがジグソーパズルに夢中になるような内発的動機付け」が答えだとは思えない点もある。だって、単純な話、飽きるもの。仕事って、人によっては50年もやるわけで。
ぼくが現時点で思うことは、一つは目標の立て方というのが重要だということ。漠然とした言い方で言えば、この目標が自分自身だけじゃなくて、社会、コミュニティ、家族、周りの人、自分自身など、をリンクするような「調和的なシステム」に基づいていたら、途中で投げ出してしまえってならないんじゃないかと。あと、いきなりそんな崇高な目標なんて立てられないので、それはスクラップ&ビルドになると思うのだけど、その過程で個人が自分のモチベーションの仕組みを振り返るすべを持つことも重要だということ。
あと、話を初めの50代のところに持っていくと、企業を離れたらお父さんの行き場所がどこにもないという状況を変えられたら良いのになと思う。ヨーロッパ式のアーリーリタイアメントがその答えなのかどうかは疑わしい。個人的には、もっと地域とつながるような活動に従事できたら、いま崩壊しつつあるコミュニティ的なものが救われるんじゃないかと思ったり。そのときの問題が収入だとしたら、もっと最近流行りの「ソーシャル」なるものが儲かる仕組みが必要なんだよなと思ったり。でもどうしたらよいのかは考え中。
いつもより大き目の枠組みで考えてみた今日。
じゃあどうするの?についての各論は後日に乞うご期待。
総論と各論はごっちゃにしない方がよいなと昨日思うことがあった。
1つ目の記事はそれ以上出世できないことに気付いてしまう50代の話。そうすると組織にしがみつくしか生きていく方法がないと気付いてしまうんだとさ。「可能性がなくなるっていうのは、結構しんどい」と文中の50代は言う。精神科医の小此木氏はこれを「上昇停止症候群」と名付けたり。
なんだか象徴的なセリフ。「長いこと1つの組織でずっと過ごしてくるとね、だんだんと自分の市場価値みたいなものが分かってくる。まぁ、40代後半から何となくそれは分かってくるんですけど、まだね、その時はかすかな光みたいなものが見えるわけ。でもね、さすがに50代になるとそれが全く見えなくなる」
“市場価値”を悟ったエリートの悲哀と希望 (40代と50代を隔てるタイムリミット)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100720/215500/?P=1
これとリンクしていると思ったのが、最近売れてるらしきD. Pinkのモチベーション3.0に関するインタビュー記事。これが言わんとしているのは、報酬によって生まれる外発的動機というのは、報酬をもらった後で低下する。自分の仕事に習熟したいという内発的動機こそが持続する、と。また、外発的な動機は、報酬をもらうために下手をこかないようにと、仕事を無難なものに終始させ、クリエイティビティを低下させる傾向があるという。
やる気は「お金」では買えない (「上手くなりたい」が「やる気」を生む)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100723/215569/
つまりは40代後半まで、自分はどこまでいけるかな、と希望を見ながらがんばってきた企業戦士(という表現が古いのかどうだか知らないが)のおじ様たち(女性で当てはまる人は少ない気がする)は、「どこまで」に当たるような「地位」「給与」「役職」という外発的動機で長い間一生懸命走ってきて、それに終わりが見えちゃうことでへこんでしまう、ということだ。
(余談) この瞬間に、前の事務所のおっさん(てるひこ55歳)を思い出してしまうわけだが、そういや彼もよく「昔はもっとガツガツやってたんだけどねー」とか言ってた。最もぼくにはその様子が全く想像もつかないくらい、彼は仕事ができなかったわけなんだが。(余談終わり)
で、こういうモチベーションについて考えるときに良く思うことなんだけど、例えば韓国企業や中国企業は今元気だと言われることが多いと思うのだけど、これは彼らの経済っていうのがまだ「目の前にニンジンがぶら下がった状態」にあるんだと思う。もちろんこの2つの国はそれぞれ違うステージにあるわけだが。
社員は自分ががんばることで、会社は発展していくし、給与も役職も上がっていく。そしてそのことに対して日本人よりずっとアツく燃えることができるんじゃないか。日本を見ていて思うことは「えらくなりたい」とか「金持ちになりたい」よりも、少し落ち着いた段階に差し掛かっていて、割と「快適に過ごしたい」的な欲求が先に立ってるのじゃないかと。
ま、そんなことを思ってるとサムスンを取り上げた記事が目に付くわけで。これは、でもそのうち燃え尽きるよなあと思ってしまうぼくは、自分自身の定義によればとても日本人らしい考え方をしている。
取引先は見た! サムスンマンと日本企業社員の決定的な“差”
語学、情報収集、生存競争…。甘えなき「実行力」のすごみ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100707/215307/
とりあえずもう寝なくちゃいけない時間なので、乱暴に思う点をまとめてしまえば、このあたりの働き方のベースとなってきた考え方をひっくるめて、「アメとムチによるモチベーション2.0」というオペレーションシステムが世界を動かしてきたのだと見るダニエル・ピンクの考え方にぼくは賛同。
一方で、じゃあどうしたら良いのかという点において、「子どもがジグソーパズルに夢中になるような内発的動機付け」が答えだとは思えない点もある。だって、単純な話、飽きるもの。仕事って、人によっては50年もやるわけで。
ぼくが現時点で思うことは、一つは目標の立て方というのが重要だということ。漠然とした言い方で言えば、この目標が自分自身だけじゃなくて、社会、コミュニティ、家族、周りの人、自分自身など、をリンクするような「調和的なシステム」に基づいていたら、途中で投げ出してしまえってならないんじゃないかと。あと、いきなりそんな崇高な目標なんて立てられないので、それはスクラップ&ビルドになると思うのだけど、その過程で個人が自分のモチベーションの仕組みを振り返るすべを持つことも重要だということ。
あと、話を初めの50代のところに持っていくと、企業を離れたらお父さんの行き場所がどこにもないという状況を変えられたら良いのになと思う。ヨーロッパ式のアーリーリタイアメントがその答えなのかどうかは疑わしい。個人的には、もっと地域とつながるような活動に従事できたら、いま崩壊しつつあるコミュニティ的なものが救われるんじゃないかと思ったり。そのときの問題が収入だとしたら、もっと最近流行りの「ソーシャル」なるものが儲かる仕組みが必要なんだよなと思ったり。でもどうしたらよいのかは考え中。
いつもより大き目の枠組みで考えてみた今日。
じゃあどうするの?についての各論は後日に乞うご期待。
総論と各論はごっちゃにしない方がよいなと昨日思うことがあった。
iTune storeにエゴラッピンを見つけて呆然としている。
別にエゴラッピンのせいで呆然とする理由なんてないのだけれど、
ただ、この名前が思い起こさせる過去が、とってもナイーブで若くって切ない時代なので、
ほろ酔いの思考が一気にその時代へ引っ張られたような気がして、
なんだか反応に困ってしまうのだ。なんとも、言葉が出てこない。
ま、それはそうとして。
今日はとても久しぶりに一人で飲んでいる。
そんなことをしている場合なのかどうかも、
この際、考えたくない気分のときに、一人で飲むものなのだ。
のんでーのんでーのまれてーのんでー。
この弱虫め。
はさんで捨ててしまいたいような、
弱い気持ちというのがぼくにはいつもあって、
きっと、こういうのはみんなが抱えながら
どーにかこーにか付き合い方を見つけながら
やり過ごしたり、やっつけたりしたりしてるのだろう。
人間なんだもの。
ぼくはもっと行動力がほ しいのだ。
決断力がほしいのだ。
でも言ってても力がつくわけではなくて、
行動することで、決断することで、
初めて、何かが変わるのだ。
結局、楽な選択肢へ逃げ込まないことだ。
別にエゴラッピンのせいで呆然とする理由なんてないのだけれど、
ただ、この名前が思い起こさせる過去が、とってもナイーブで若くって切ない時代なので、
ほろ酔いの思考が一気にその時代へ引っ張られたような気がして、
なんだか反応に困ってしまうのだ。なんとも、言葉が出てこない。
ま、それはそうとして。
今日はとても久しぶりに一人で飲んでいる。
そんなことをしている場合なのかどうかも、
この際、考えたくない気分のときに、一人で飲むものなのだ。
のんでーのんでーのまれてーのんでー。
この弱虫め。
はさんで捨ててしまいたいような、
弱い気持ちというのがぼくにはいつもあって、
きっと、こういうのはみんなが抱えながら
どーにかこーにか付き合い方を見つけながら
やり過ごしたり、やっつけたりしたりしてるのだろう。
人間なんだもの。
ぼくはもっと行動力がほ しいのだ。
決断力がほしいのだ。
でも言ってても力がつくわけではなくて、
行動することで、決断することで、
初めて、何かが変わるのだ。
結局、楽な選択肢へ逃げ込まないことだ。