センスは先天的か?後天的か? | ふくきゃぷてんの日記

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日常から離れて雑記をツラツラと。

 

先天的な能力、後天的な能力 

 

人の能力には先天的なものと後天的なものがあると言われる。

運動神経などはその多くが生まれた時点で決まっているのは

感覚的に合点がいくし、

習慣とか環境で大なり小なりの変化は生めると思うけど

ある一定以上のところから先に行けるか否かは

先天的な能力が左右するような気がしている。

 

思考系については後天的と言われることが多かったり

仮に先天的にある程度の傾向があっても、

本人が学ぶ気になれば後天的に習得することができる。

 

色彩感覚やファッションセンスは先天的?後天的? 

 

では、色彩感覚やファッションのセンスはどうだろう?

 

「あの人、センス良い!」

と思うことは日常生活でしばしば見られる。

 

こういう時に、今まではなんとなく先天的にセンスが良いのかなと思っていたのだけど

最近は、見てきている量が違うことによって、差が生まれているんじゃないか

と思うようになっている。

 

色彩に興味があるとかファッションやオシャレに興味がある人は

そういう物が好きなので、日頃から色やデザインに目が留まり、

「これはキレイ、カワイイ」「これはいまいち」というジャッジを

何百、何千と繰り返してきており、

経験値が蓄積されていってるような気がする。

 

一方で、私のようにそういうものに興味がないとか苦手という人は

日頃はそこに目が留まらないので

経験値が蓄積されておらず、

いざという時に引き出しが無いような気がする。

 

効率的に経験値を積むためにも理論を学ぶ 

 

しばしば「好きこそものの上手なれ」と言うけど、あれって

好き → 厭わずやる → 経験値が貯まる → うまくいく → 更に好きになる →最初に戻る・・・

という好循環が生まれている状況だと思う。

 

いずれにせよセンスは後天的に身につくという考えが正しいとすれば、

後天的に経験値を積むことができれば

センスは後からカバーできるということになる。

 

そこでセンスの経験値の質と量を考えてみると

量は意識的に興味関心を持って目を向けるしか無いとして、

質については理論を学ぶことで情報の吸収効率が上がるんじゃないかと。

そんな意味も含めて色彩検定などの理屈を学ぶって大事だと思う。

 

そう考えると、学生時代に美術の授業があったけど

あの中で、もう少し色彩の理論、

もっと言えば「この理屈を前提に日頃の色選びをするとうまくいくよ」を教えて

日常生活に転用させるように教育すれば

学生ももっと興味を持つだろうし、日常生活にも活かせられると思うんだけどなぁ。