お金をもらうことに対する仕事の姿勢 | ふくきゃぷてんの日記

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日常から離れて雑記をツラツラと。

 

学生時代に培われた金銭感覚 

 

私は仕事をする時はサービスの提供者になるけど

日常生活ではサービスの受け手になる。

 

学生時代に親元を離れて、何をするにもお金が要るという

とても当たり前のことに直面し、

1回の飲み会がいくらだから、

飲みとか遊びとか行くのは月何回が上限だな~

ということを考えながら生活をしていた。

 

そんな経験を通して、普通の生活をするにあたり

お金が行動のブレーキになるのは極力避けたいなと思うようになった。

 

満足や不満は価格に対する味やサービスの相対値 

 

そんな学生時代の経験を経て

今は社会人としてそれなりに収入も得てきて、

よほど贅沢を希望しない限りは

お金が理由で私の行動のブレーキになることはほとんどなくなった。

 

アラフォーに至るまでで様々なサービスを受けてきた。

世の中には高いものも安いものも色々ある。

食事1回と言っても、ワンコインの牛丼の時もあれば、それなりのレストランのこともある。

 

そんな時に思うのが、

ワンコインの牛丼にすごく満足することもあれば、

数万円のレストランや割烹に不満を覚えることもあるということ。

 

そう考えると、味やサービスの絶対値に対して評価をしているのではなく

価格に対する味やサービスの相対値に満足や不満を判断しているんだなと思う。

 

安くても満足する時はするし、高くても不満足な時は不満。

 

サービス提供時は自分の提供価値を正当に判断しよう 

 

翻って、これはサービスを受ける時だけではなく

提供する時も勿論同じ。

 

私は無形商材を扱う仕事をしているので

明確な価格表はない。

 

だからこそ、自分が提供した価値を正当に自分で判断し、

更に必要に応じて、自分の提供価値をきちんと言語化や数値化して顧客に示せないと

市場から弾かれる感覚がある。

 

私の所属する業界にはプライドが高い人が入社してくることが多いのだけど

この自己評価部分が甘い人が結構いるな、という印象。

 

残念ながら二流とか三流と言われる人に限ってその傾向が強く

逆に、この人は一流だな・すごいなと言われる人は

きちんと自己客観視ができて、自己評価を正当に付けている印象がある。

(だからこそ、できる人は真っ当に自己研鑽を積み、更に仕事ができるようになるんだろう)

 

自分がサービスを受ける時の快・不快の感覚を他人事とせず

きちんと仕事にも転用させないと