「みなさんは」と「私たちは」の使い分けによる一体感 | ふくきゃぷてんの日記

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日常から離れて雑記をツラツラと。

 

シーンによって「みなさんは」と「私たちは」を使い分ける
 

 

以前、ビジネス系の先生から教えて頂いたことがある。

先生は講義をする立場だったので、その文脈で

「みなさんは」と「私たちは」の使い分けるという話だった。

 

内容はシンプルで

良いことを話す時の主語は「みなさんは」

悪いことを話す時の主語は「私たちは」

というもの。

 

先生という立場の場合、

『先生はうまくできているけど生徒はうまくできていない内容』を伝えることになる。

すると『悪いこと』を話す時の主語が「みなさんは」となりがち。

 

「みなさんは」の中に自分(先生)は含まれないので

悪い話の中で、この言葉を発する度、自分(先生)と聞き手の間に線が引かれ

これを繰り返せば繰り返すほど一体感から遠く離れていく。

 

一方で、「私も含めて」というニュアンスを包含する「私たちは」を使うと

私もできないことが多いんですけど『私を含めたここに介している人たちは』

という意味を無意識的に刷り込む形になる。

 

実際に先生側がそのテーマについてできない人ではないことなんて聞いていたらわかるわけで

実態と言葉が相違しているけど、

それは話し手の謙遜として勝手に聞き手が補正してくれるから問題ない。

 

印象形成はチリツモ 

 

「私たちは」という言葉を発する時間は1秒にも満たないので

1回言ったからといって一体感が生まれるわけではないけど

60分とか90分という中で、都度これを意識して話し続けると

勝手に刷り込まれるという不思議。

 

実際に私もやったことがあるけど確かに不思議と一体感が生まれる。

 

ほんのチョットしたことだけど、

人間の心理は日々の言葉から影響を受けるということを改めて実感した。

 

会話の中でも一体感を生み出すことができるんだろうか? 

 

現在、ウォーキングで会っているみんなとの会話の中で

私が話をする時にこの点に意識が向いた時はこの手法を使うようにしているけど

先生と生徒の講義のような場面と異なり、

私が話すターン、相手が話すターンというように時間が何分割かされる場面の場合

一体感が生まれるより早く、その日のコースを歩き終える時間が来ている印象。

 

なので、毎日の会話の中で、ずーっとこれをし続ければ効果が出るのか?

という点に興味がある。

 

とにかくしばらくは続けてみようクローバー