中古レコードのジャンクコーナーで悲しくなること | 復刻版

復刻版

栄光より挫折、成功より失敗、勝利より敗北…。

最近、中古レコードの
ジャンクコーナーへよく行くが、
かび臭いボロボロの
レコードジャケットを、
かき分けながら探している。

手は汚れるし、
レコードの角がささくれに入って、
傷を負うこともあるし、
捲る指が痛くなってしまう。
カビ臭を嗅ぐと肺が悪くなりそうだ。

なのにろくなレコードは殆どなく、
忍耐力テストのようなものだが、
それでも続けられるのは、
好きだからなのであろう。

バカ丸出しの姿を見ると、
「あんたも好きね~」などと、
他人は言いたくなるかもしれない。
我ながら阿呆だと思う…。

そんな中で最近感じるのが、
レコードを見て悲しくなることだ。
ろくなレコードが無いから、
悲しくなるのではない。

ジャンクに入っているレコードは、
昔、中学生の頃、
買いたくても買えなかった、
カラヤンの盤が多いのだ。

カラヤンの写真が付いて、
グラモフォンのWジャケット、
緑色の帯が付いていて、
1枚2,600円だった。

中学生の私には余りにも高くて、
第九が欲しかったが、
フリッチャイ指揮の、
ヘリオドール盤で我慢したし、
チャイコフスキーの交響曲は、
セラフィムのクーベリック盤を買った。

これらの廉価盤は、
約半額で購入出来たが、
それでも数ヶ月に1枚程度しか、
買うことができなかった。

そんな私の垂涎だった、
カラヤンのレコードが、
ジャンクコーナーに入れられて、
110円でも買う人がいないし、
私も欲しくはなくなった。
今では単なるゴミ…。

その状況を見て、
世の中の移ろいを感じて、
儚さや無情の念を感じて、
悲しくなってしまうのである。

当時はレコードは高級品だったが、
オーディオと併せて元気だった。
休みになると電気店で試聴したし、
レコードは憧れのアイテムだった。

かつては憧れのカラヤン盤。
それが今、カラヤンの全集が、
数万円で集まる。

でも、ワクワクしない…。

レコードが買えない時代の方が
楽しかったと感じるのは私だけか?
ジャンクという墓場で、
当時のことが甦ってきた…。