昨日の続き、"N響事件"その根底にあるものを考える | 復刻版

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栄光より挫折、成功より失敗、勝利より敗北…。

昨日、小澤征爾さんが遭った、
"N響事件"について、
クソ記事をボロクソに書いたが、
当時の風潮を視野に入れないと、
一方的にN響が悪い!
で終わってしまうと思う。

事件当時の60年代初めには、
今以上の差別があり、
出身大学や学歴でも
差別があったと想像する…。

民間企業も官僚と同様に、
○○物産とか、△△商事とか、
××銀行とか、□□重工とか、
旧財閥系の企業や、
旧い大手企業には、
学閥があった。
一部、今でもあるのかもしれない。

東大閥や京大閥など、
旧帝大が役員、幹部を仕切って、
私大出身者はコケにされた、
そんな話を聞いたことがある。

稟議を上げるにしても、
私大出はバカにされて
イヤミを言われて、
旧帝大出はすんなり通る、
なんていうことが、
あったのではなかろうか?

"N響事件"に置き換えると、
NHKがというよりも、
N響は芸大出が席巻して、
芸大出身が当たり前、
私大出など見下されて論外!
という時代だったのだろう。
小澤征爾さんはいわば外敵だ。

(ここからは私の想像だが)
天下の芸大様に対して、
『どこの馬の骨かも分からない、
格下の私大出の、それも若造が、
コンクールで入賞したくらいで
いい気になりやがって!
更に指揮・指導するとは何事か!
ふざけるな!!!』
という思いが根底にあった。

面白くない団員は、
重箱の隅を突くように、
いちいち小さなミスを指摘し、
致命的なミスを犯したことから、
ついに不満が爆発、
謀反を決起した!
というのが"N響事件"であろう。

なお、事件当時には、
軍楽隊出身もいたと思うが、
軍楽隊は別格なのかもしれない。
軍楽隊出には名手がいたそうだ。

さて、旧帝大が牛耳った企業同様、
当時の風潮を根底に考えないと、
一方的に「○○が悪い!」
で終わってしまうだろう。
NHKはあまり関係ないのだ。
これが昨日、クソ記事と
記した理由の一つでもある…。

最後に、小澤征爾さんの
N響との当時の定期公演の記録を
「NHK交響楽団五十年史」
で調べてみた。

会場は東京文化会館
432定期 62年6月20,21,22日
「後宮からの誘拐」序曲
ストラヴィンスキー:プルチネルラ
黛敏郎:交響詩「輪廻(サムサーラ)」
レスピーギ:ローマの松

433定期 62年9月20,21,22日

Vnソロ:グートニコフ
武満徹:弦楽のためのレクイエム
モーツァルト:Vn協奏曲5番
ベルリオーズ:幻想交響曲

434定期 62年11月14,15,16日
Vcソロ:カサド
ベートーヴェン:交響曲第4番
ドヴォルザーク:Vc協奏曲
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」組曲2番

グートニコフやカサド、
名手との共演を聴いてみたかった…。
冒頭の記事によると、
12月にボイコットされるので、
11月16日が最後の公演となる…。
明日は定期公演以外を
記したいと思う。