新しい世界がはじまる。。。
まさに世紀末。
1999年
ギリシャ悲劇、シェイクスピア、アラバールなどなど
海外の作品を扱ってきたわたしたち。
8回目の公演は、三島由紀夫の近代能楽集。
和物
わ も の
演劇の専門学校でも、「和物」を扱うのに
日本舞踊の授業があったわけで。
わたしは、「葵の上」の六条御息所役でした。
衣装は、「着物」。
そこで、当時の演出家が所作指導の先生として
「坂東冨起子」先生を招いたのでした!!
初めまして冨起子先生。
白状します。
え?日本舞踊の先生ってこんなに若くてファンキーなの?
って思ってました。
そんな当時のわたしたちはピチピチの20代。
「業界の常識なんてよくわかんなーい」
というくるくるぱー集団だったので、公演が終わったあとに大変失礼なこと(ギャラを菓子折りで済ます)をしてお電話で冨起子先生にお叱りを受けるという・・・
そこで謎のスカウトにあいました。
「金を払わないなら、身体で返せ」
とは
言ってません。
わたしにはそう聞こえた・・・わけでもありません

冨起子師匠「踊りにむいてそうだから、日本舞踊やらない?」
辰起「え・・・? はい、やらせていただきます」
半ば脅されて?←人聞きが悪いですね。先生ごめんなさい。
日本舞踊と再会❤️
人生はわからないものですね。
もう2度とやることはないと思いさようならした日本舞踊と再会し、
21年も続いて、師範名取にもなりました。
入門して、半年後に
冨起子師匠に「今までのが小学生だとしたら、次にやるのは大学生で飛び級よ〜❤️」といわれ
「子守」
これが、ふきの会でも初お浚い会。
とんびにあぶら揚げを取られて追いかけていくところから踊りは始まりますが、
いきなりすっ転ぶ振りを、本気ですっ転び、振りを忘れ、というより前日まで振りを覚えてもいず、
演技でごまかし?という散々な初舞台。
その2年後には、初の創作舞踊まで出させていただき・・・
「サンバ、そう?」
2001年の同時多発テロから発案された創作舞踊。三番叟(さんばそう)の振りも使われて、サンバ、そう?
ダジャレ?

こんな風に日本舞踊の面白さに魅せられてしまったわたし?
あの時、声をかけて下さらなかったら、こんな世界は一生知ることはなかったのかもしれません。
本当に感謝しています。
さていよいよ明日から、3月のアシテジ世界大会に向けて「猫いらず」のお稽古が始まります。
坂東辰起