終活も少し落ちついたので、無理のない範囲でまた書かせていただきたいと思う。

旧約聖書の「士師記(ししき)」には、モーセの後継者ヨシュアが亡くなってから、イスラエル王朝ができる少し前までの、約200年間の歴史が記されている。

その時代は、信仰が非常に堕落した時代で、戦争や内紛の記述が多く、興味を引かれることがあまりなかったので、今までほとんど触れたことがなかった。
 
しかし、どんな歴史も「聖書の歴史」であることに変わりはないので、何回かに分けて「士師の時代から王朝ができるまで」を探究してみたい。

 
そこで今回は、「士師記」に登場する士師、サムソンについて書かせていただきたいと思う。

「士師」とは、ある意味「預言者」とも言えるが、神様の御言葉を告げるだけでなく、民を裁いたり、軍を率いたりする、イスラエル民族の指導者でありリーダーだった。

まず初めに、神様が「士師」を遣わされた時代背景に触れてみたい。

神様から離れてしまった「士師記」の時代

モーセ亡き後、ヨシュア率いるイスラエルの民は、約束の地「カナン」に入った。
しかしそれで目的が達成されたわけではなく、「先住民のカナン人を一人残らず追い払い、偶像を破壊して、カナンの地を治める」という使命が残されていた。

神様が、カナン人を一人残らず追い払うように命じられた理由は、イスラエル人がカナン人に恨みがあったからではない。
1.カナン人が先祖代々犯し続けた大罪を、神様が裁かれるため。
2.カナン人の偶像崇拝の悪影響から、イスラエルの民を守るため。

であった。(約束の地カナンの地での戦い②参照)
 
しかしイスラエルの民は神様の御命令を守らず、すべてを追い払わなかった。
その結果、ヨシュアが死ぬと、残ったカナン人の悪影響を受けて偶像崇拝が広がり、神様から離れたイスラエルの民は、他国の支配下に置かれてしまう。

神様は、そのような民でも哀れまれ、「士師」を遣わして御救いになられたのである。
しかし士師が死ぬと、以前にも増して信仰が堕落し、ますます悪の道を歩んでいった。

すると神様は仰せになられた。
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この民は、わたしが彼らの先祖たちに命じたわたしの契約を破り、わたしの声に聞き従わなかったから、わたしもまた、ヨシュアが死んだときに残しておいたいかなる異邦の民も、彼らの前から追い払わない。
これは、先祖たちが守ったように、彼らも主の道を守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。

(士師記2-20〜22)
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神様は、イスラエルに異邦人が残っていても、先祖たちのように、神様との契約を守るかを試されるために、追い払うことをやめられたのである。
しかし、イスラエルの民はその御心を悟れずに、カナン人たちと住み、婚姻関係を結び、偶像を拝むようになってしまった。

神様は何人も士師を遣わされたが、「士師が死ぬと悪に戻る」という歴史が何度も繰り返された。その歴史が「士師記」であり、その最後に登場する士師が「サムソン」である。

サムソンの生涯は脚色され、歌劇や映画にもなっているが、サムソンの傍若無人な振る舞いは、反面教師として取り上げられることも少なくない。
他の士師たちのように、「神様の御言葉を民に告げた」とか、「リーダーとして民を導いた」という記述が一つもなく、個人的な振る舞いしか記されていない「異色の士師」なのである。

そのような異色の士師を、なぜ神様は御遣わしになられたのか?
そのことを、サムソンの生涯から探ってみたい。

サムソンとペリシテ人の戦い

その時代、イスラエルはペリシテ人によって支配され、苦しんでいた。
ある日、マノアという男の妻に、神様の御使いが現れて言った。
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あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。
だが、身ごもって男の子を産むであろう。
今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物を一切食べないように気をつけよ。
あなたは身ごもって男の子を産む。
その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。
彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。

(士師記13-3〜5)
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聖母マリアへの受胎告知を想像させ、高貴なお方の誕生を予感させる。
しかし生まれたのは、本能のままに生きる怪力の超人だった。
 
ある日、成長したサムソンに、主の霊が下った。
同時にサムソンは、ペリシテ人の女を愛してしまう。
いきなり律法違反である。

もちろん両親は大反対したが、サムソンは忠告を聞かずに結婚して宴会を開いた。
そこに集まったペリシテ人30人に、サムソンは謎をかけ、30着の衣を賭けた。
するとペリシテ人たちは、サムソンの妻を脅し、謎の答えを聞き出すように仕向けた。
サムソンは妻にせがまれ答えを明かし、賭けに負けてしまう。
だまされたことを知ったサムソンは怒り、まったく関係のないペリシテ人30人を打ち殺し、その服を奪って彼らに渡したのである。
なんてことをするのだ、と度肝を抜かれる。
 
その後サムソンの妻は、客の一人だったペリシテ人の男のもとに行ってしまう。
怒ったサムソンは、その報復としてペリシテ人の麦畑やぶどう畑を焼き払った。
するとペリシテ人たちは、サムソンの妻と義父を殺した。
怒ったサムソンは、ペリシテ人たちを徹底的に打ちのめした。
 
報復合戦は続き、とうとう、ペリシテ人の兵たちはイスラエルのユダの地に陣を敷き、「サムソンを引き渡せ!」と要求してきたのである。

困ったのはユダの住民たちである。
サムソンに対し、
我々がペリシテ人の支配下にあることを知らないのか。なんということをしてくれた
と文句を言うと、サムソンは、「彼らがわたしにしたように、彼らにしただけだ」と平然と答えた。
しかしサムソンはユダの住民の要求を受け入れ、縄でしばられて、ペリシテ人たちに引き渡されたのである。

するとその時、サムソンに神の霊が激しく降りて、しばっていた縄が手から落ちた。
同時に、サムソンはロバのあご骨を拾って、ペリシテ人1000人を打ち殺してしまった。
恐るべき強さである。
ペリシテ人たちは、サムソンとまともに戦っても勝てないことを知った。
 
「士師記」には、その後サムソンは、「20年間士師としてイスラエルを裁いた」と記されている。
しかし具体的な記述は全く無く、20年間がたったこの一文で終わる。
 
それで終わりかと思ったら、そうではない。
これからがサムソンの有名なシーンである。

サムソンの最期

サムソンは再びペリシテ人の女を愛してしまう。
名は「デリラ」、またしても律法違反である。

ペリシテ人の領主たちは、デリラに報酬を渡すことを約束し、
サムソンを誘惑し、怪力の秘密を探ってほしい」と頼んだ。
デリラはサムソンに、怪力の秘密を教えて欲しいと何度も頼み、サムソンは拒み続けていたが、とうとう怪力の秘密を話してしまう。
怪力の秘密は、「長い髪の毛」にあった。

デリラはペリシテ人の仲間を呼び、サムソンの眠っている間に髪の毛を切らせた。
そしてサムソンは力を失い、ペリシテ人たちに捕えられて両眼をえぐられ、牢屋に入れられてしまった。

ある日、領主をはじめとするペリシテ人たちは、「偶像神ダゴン」の神殿に集まり、盛大な祝い事を行なった。その建物はペリシテ人で埋め尽くされ、屋上にも三千人の男女がいた。
 
そこで領主たちは上機嫌になり、「サムソンを呼べ。見せ物にして楽しもう」と言い出した。
眼が見えないサムソンは、牢屋から連れ出され、ペリシテ人たちの笑いものにされた。
しかし、サムソンの髪の毛が伸びていることには、誰も気がついていない。

するとサムソンは、自分の手をつかまえていた若者に、
私の手を放して、この神殿を支えている柱にさわらせ、寄りかからせてくれ
と頼み、2本の柱の間に立った。
そして、「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください」と祈った。
 
サムソンは、建物を支える2本の柱を両手で探り当てると、
わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい
そう言って力を込めて、大きな柱を押した。
すると柱は倒れ、建物は偶像とともに崩れ落ち、ペリシテ人たちをのみ込んだ。
数多くのペリシテ人が死に、サムソンも死んだ。
その時死んだペリシテ人は、今までサムソンが殺したペリシテ人の数よりも多かったという。

以上が、サムソンの生涯の概略である。

 

いったいサムソンとは何者だったのだろうか?
使命感に燃えてペリシテ人と戦ったようには見えない。
敬虔な信仰を持っていたようにも思えない。
その傍若無人な振る舞いは、反面教師などという域を超えている。

しかし一つ言えることは、結果的に彼はイスラエルの民を救った。
神様の御使いが、サムソンの母に告げた次の御言葉どおりになった。
彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう
という御言葉どおりになったのである。
 
「神がかり」のサムソン
 
また、サムソンの父母が結婚に反対した場面で、「士師記」には次の通り書かれている。
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彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。
主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのである。

(士師記14-4)
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つまり、サムソンがペリシテ人の女を好きになったのも、だまされたのも、すべては神様の御計画だったのだ。
 
さらに、サムソンが何か事件を起こす直前には、「主の霊が激しくサムソンの上に下った
という記述が何度もある。

要するに、サムソンは「神がかり」になっていたのである。
「神がかり」の状態にある人に、人間的道徳の是非を問うことは無意味である。
なぜならその人はもはや、人間ではないからだ。

神様がペリシテ人を裁かれる時期が来た時に、神の霊を宿すための肉体を、前もってこの世に現されたのだとしたら。
すべてはサムソンの肉体を使って、神様がなされたことだとしたら。

サムソンは生涯にわたり、その使命をまっとうしたと言える。

人間サムソン

もちろん、「人間サムソン」として過ごす時もあったと思う。

ただ、士師記の記述から「どんな人間だったか」を推し測るのは難しい。
 
しかし、「サムソンは何を成したか」ということから見れば、
イスラエルを救う使命を宿し、ペリシテ人と戦う宿命を持って生まれながら、兵に頼ることもなく、同胞の命を犠牲にすることもなく、たった一人で戦い、使命を全うして死んでいった生き様に、潔さのようなものを感じるのである。

次回も「士師の時代」のことを書かせていただきたいと思う。