2013年9月20日 箱根のゴルフ場で

脳幹出血発症

御殿場のM脳外科へ3週間入院

板橋のI〇Sリハビリ病院へ転院

2か月半入院

2013年12月26日 リハビリ病院 退院

2014年1月 会社へ復帰

睡眠障害、摂食障害、パニック障害発症

 

         

 

 まずは、心療内科

 

リハビリ病院を退院してから、まず探したが心療内科だった。

 

最初は東京近郊に何院かあるクリニックの池袋院へ行った。

 

待合室は若者で溢れかえっていた。診察も分刻みで回転していくので、

 

流れ作業のよう、そのかわりに別料金でカウンセリングを勧められる。

 

少しでもよくなるのならば、とカウンセリングもお願いした。

 

30代の女性カウンセラーさんは、私みたいな根深く病んでいる

 

おばさんには慣れていないようで、カウンセリングは不毛な時間だった。

 

 

それでもそのクリニックには半年近く、毎週通った。

 

薬はメイラックス(長時間効く案定剤)、

 

ドクマチール(神経性胃炎などに有効なうつ状態改善薬)、

 

レクサブロ(抗うつ剤の一種でうつ状態や不安を改善する薬)、

 

リーゼ(軽い安定剤)だった。

 

ちゃんと飲んでいたけれども、あまり気持ちも食欲も睡眠も改善されなかった。

 

ますます食べられなくなる、寝られない、気持ちは最悪だ、と訴えても、

 

薬は変えてくれない。

 

主治医は若いのに、雰囲気が妙におじいさんっぽい感じの先生だった。

 

早朝に眼がさめてしまう、と訴える私に

 

「年齢が年齢だから、これ以上眠れるようになるわけないでしょ」

 

と鼻で笑った。

 

今なら、反論もできるが、その当時は弱っていたので

 

ただただしゅんとしてしまった。

 

モノが食べられないという訴えには、「治すには会社辞めるしかないから」と。

 

朝はもっと寝たいし、会社も辞めたくないし、

 

無駄なカウンセリングもいらないので、

 

そこのクリニックに通うのは、辞めた。

 

お次は友人が以前行ったことがある、練馬のクリニックへ行ってみた。

 

辛い、苦しい、食べられないと訴える私に、

 

リフレックス(食欲がでると言われている抗うつ剤)が大量に渡された。

 

最初の1週間は朝1錠、副作用がなければ2週間目からは2錠ずつ、

 

その翌週は3錠ずつ飲みなさい、

 

辛かったらワイパックス(少し強めの安定剤)を1日6錠まで

 

ならOKと渡され、飲み終わった頃にまた来なさい、と言われた。

 

リフレックスを言われた通りに飲み続けて、

 

10日くらいたっても何も変化がなかった。

 

先生に電話をして訴えたが、「そんなにすぐには効かないよ」と。

 

その後3錠にしても変化なし。食欲もでない、具合は相変わらず悪いし、

 

そもそも自分には効かない薬を増やして飲んでいくことに疲れてしまった。

 

この後、別の薬で同じことを繰り返すのかと思ったら、

 

そんなに長くは辛くてもたない、とぞっとしたので、ここも辞めた。

 

次は会社のそばのクリニックへ行った。

 

待合室で会った品の良いおばあちゃまは「いい先生よ~」と

 

言っていたので期待したが、

 

最初からパキシルを処方されたので、行かなくなった。

 

パキシルは私の中で一番強くて副作用もある 抗うつ系の薬だという認識があった

(私個人の認識です)

 

最後の手段だと思っていたので、おいそれとは飲みたくなかった。

 

その時、調剤薬局のお姉さんから「近くに最近できたクリニックがあるけど

 

よさそうよ」と前に教えてもらったのを思い出した。

 

そうだ、この際、そこに行ってみよう!

 

目白のSクリニックに行ってみた。

 

先生は長いこと海外で診療していた方で、名のある方で日本に戻って

 

集大成としてこのクリニックを開いたとのことだった。

 

クリニックの野田先生は60代くらいの気さくな男性の先生だった。

 

私の話をちゃんと聞いてくれて、こうしてみようか、だめならこう、

 

と寄り添ってくれる先生だった。

 

いつもめそめそしている私に毎回時間をたくさんとってくれた。

 

うっかり行かない週があると、ちゃんと来なさい、とわざわざ電話をくれた。

 

会社でつらくなると「先生、辛い」と電話をかけた。

 

訴えるだけでも少し楽になった。

 

私の心の恩師、大好きな主治医の先生だった。

 

このあと、4年くらいお世話になった。

 

私の心が回復に向いはじめた頃、野田先生はすい臓がんで逝ってしまった。

                                                                                                                

いつもビービー泣き言を言っていた私だけど、

 

そこそこ元気になったところを見せたかったよ。

 

まだ、そのころは自分のことでめいっぱいだったから言えなかった。

 

野田先生、大好きだったよ ありがとう!

 

to be continued.