最初は眼科

 

リハビリ病院を退院して、会社へ復帰はしたけれど、

 

心身の状況は変わらない。

 

眼の焦点は合わない、動くとグラグラする、足はふらつく、心は不安定、

 

以前とはすっかり変わってしまった自分自身に絶望する毎日だった。

 

なんとか会社へは行っている、家にいるよりも気が紛れるからだ。

 

どちらにしても、辛いが、

 

会社で座ってちょっとした仕事をしているだけで、

 

「うん、社会に復帰している」

 

と自分を安心させることができた。

 

それでもなんとか少しでも以前のような状態に戻りたい。

 

一番つらいのは機能しなくなった眼とその眼からくる心の病みだ。

 

まず、眼を何とかしてくれる眼科を捜そう。

 

この頃、3か所、眼科にかかった。

 

最初はリハビリ病院の近くS眼科に妹の付き添いで行った。

 

脳幹出血お起こして眼の焦点が合わない、日差しが眩しくて辛い、

 

本屋さんの棚みたな陳列棚を前にすると、すごい圧迫感でグラグラする、

 

と訴えたが、答えは「どうすることもできない」、と。

 

発症から数か月ならば、まだ症状が固定しているわけではないから、

 

良くなるかも知れない、

 

状態がもっと落ち着いてから大きな病院で相談したらどうか、

 

というのが答えだった

 

2軒目はリハビリ病院の先生が、相談にのってくれそうな眼科、といって

 

教えてくれた高田馬場のO眼科だった。

 

期待に胸を膨らませて高田馬場へ行ったが、

 

そういう患者を診ることができるのは大先生だけだと言われ

 

しばらく待たされた。

 

威厳のある ひげのおじいちゃん先生が出てきて、私の前に座った。

 

状況の説明を始めた私に、「そういう治療は出来ません。お帰りください」

 

と・・・。

 

断言された私と妹は返す言葉もなく、すごすごと眼科を後にした・・・

 

来ては行けないところに来てしまって、叱責された、そんな感じだった。

 

脳疾患の後遺症を直したいと思うのは、図々しいことなの?

 

くじけずに3軒目は、箱根で倒れた時に電話で私の様子から脳だ、と

 

診断してくれた脳外科のO先生に、J大学病院の教授先生を紹介してもらった。

 

さっそくJ大病院に予約を取って、向かった。予約があるのに2時間待ちだ。

 

全国から患者さんがくる大人気の先生らしい。

 

一通りの眼の検査をして診察をしてもらった。

 

K教授は、高田馬場の大先生とは違って、優しい先生だった。

 

最初の診察で、私の訴えに「辛いねぇ、何とかしてあげたいねぇ、

 

何か方法があるか、考えるね」と言ってくれた。

 

2度目の診察は2週間後だった。一通りの検査をして診察。

 

先生は「他にもいろいろ聞いてみたけど、こういったケースの不具合は

 

どうにもいい方法がないようなんだよ。プリズム(メガネのレンズの一種で、

 

複視等に使用)とかも当たってみたんだけど、違うみたいで、

 

どうにもいい方法がないんだよごめんね」となんと私に謝ってくれて。

 

偉い先生は人格もできていて優しいんだ、と妹と感心したのを覚えている。

 

 

結論として、こういった眼の不具合は眼科ではどうにもならない、ということだ。

 

病気のせいで少しボケ気味の私の頭でも、このアプローチはもうない、と理解した。

 

 

じゃあ、次はどうするかね?

 

to be continued.

 

 

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