ストロークサバイバー?

 

2013年9月20日に箱根のDゴルフ場で脳幹出血を起こし、

 

御殿場の脳神経外科に運び込まれ、九死に一生を得た私は、

 

その後、板橋のリハビリ病院入院を経て、お正月を自宅にて

 

めでたく迎えられることになった。

 

 

巷では癌を患って、社会復帰をしている人をがんサバイバーと

 

呼んでいるから、さしずめ私は脳卒中の生き残りということで

ストロークサバイバー ということになるんだろうか。

 

聞いたことない言葉だけど。

 

大病をして社会復帰をした人は往々にして、

 

生かしてもらった喜び?に満ち溢れた感がある、

 

と私は感じていた。だって、ドラマでもブログでもみんなそうじゃん。

 

でも、この時の私にはそういった明るい気持ちは全くなかった。

 

漠然とした不安と、この先何が起こるのか?という恐怖

家にいることが辛いから、会社に行って気を紛らわせよう、

 

この頃、心を病んでいた私は既に何をしていても、何処にいても

 

絶望感で一杯だった。

 

お正月が明け、いよいよ会社に復帰する日がやってきた。

 

ちなみに私の勤めている会社は外資系なので、他の企業よりも

 

お正月休みは長い。この年は1月7日(火)からの出社だったと思う。

 

 

仕事をするのは9月20日以来だから3ヵ月半ぶりだ

目は相変わらず厳しいが、メガネをかければ、なんとかパソコンの画面は見える。

 

発病前は、視力はまだ良くて、52才だというのにメガネも老眼鏡も

 

必要がなかった。脳出血後は、左右の焦点が合わずに 鏡を見ても

 

自分と眼が合わない状態だ。

 

眼がよく見えないと、精神状態もおかしくなる、

 

というのは良く言われていることらしい。

 

全くその通りだと思った。

 

視界が歪んで、動くと周りもグラグラする、これでは普通の精神状態は保てない。

 

いつも心が動揺していて、重く、暗い。

 

それでも家にいるよりも会社の方が気が紛れる。

 

行きは会社の後輩でもある友人Tが迎えに来てくれる、帰りは時間が合えば、

 

自由業の友人Yが車で送ってくれる。

 

最初は午前中のみの勤務予定だったが、

 

家で何もしないで座っているのも辛いもので、ちゃんと定時まで会社に

 

いさせてもらうことにした。不在の間にまわりが仕事をカバーしてくれる

 

流れになっていたので、特段忙しくはない。

 

そのうえ、病後の私は仕事の担当からはすっかり外され、

 

特にやることないんですけど、という状況だ。

 

「がんばらないでね」というのが会社からのメッセージだった。

 

to be continued.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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