昨日の「バラいろダンディ」で
「ぼーっとすること」にまつわる記事がありました。
かねてより、
「ロケットマンショー」や「週刊ふかわ」などでたびたび触れて来ましたが、
スマホが奪ったものの一つがまさにこの、
「ぼーっとする」時間。
2018年4月に東京新聞に掲載されたコラムをご紹介します。
コラ!ぼーっとしなさい!
「コラ、ぼーっとするんじゃない!」
チョークこそ飛んできませんでしたが、授業中、先生に注意されるクラスメイト。
先生の声が遠ざかり、ぼんやり校庭を眺める午後。すっかり夢見心地ですが、先生も容認するわけにはいきません。
でも、ぼーっとするって、いけないことなのでしょうか。
ぼーっとするのは、きっと、脳が休んでいるから。いけないどころか、人間にとって、必要なこと。TPOをわきまえることが前提ですが、もっと率先してやるべきなのです。
にも関わらず、最近、このぼーっとする時間が損なわれています。電車やバス。ほとんどの人が小さな画面に釘付けで、車窓をぼんやり眺める人がいません。これでは脳が休まらず、ましてや情報を詰め込まれ、処理に追われて悲鳴をあげています。もはやあなたは、脳にとってのブラック企業。だから私は、積極的に、ぼーっとするようにしています。
洗濯物をたたむ時間。珈琲豆を挽く時間。日常には、ぼーっとするチャンスがいくつもあります。そうすることで脳が休まり、頭の中が整頓され、そこから新たな発想が生まれる。もっというと、宇宙とつながる時間だと思っています。自然界との交信。「先生!ふかわ君がぼーっとしています!」「そうか、じゃぁ、チャイムが鳴るまでぼーっとさせておこう!」
人はもっと、ぼーっとするべきなのです。