焦らずゆっくりと、一音一音を噛みしめるように鍵盤を叩いていました。客席の中には僕が普段ピアノを弾くことを知っている方もいたでしょうが、それでも、プロの演奏家たちによる饗宴ののちに一人で向かうとは思わなかったでしょう。ましてやパジャマ姿。客席が皆、我が子のお遊戯を見守る父兄のように、僕の演奏を見守っていました。
「ブラヴォー!!」
鍵盤からすっと両手が離れると、大雨のような拍手の中から、どなたかの声が飛んできました。もしかするとこれが、人生で初めて浴びたブラヴォーだったかも知れません。しかし、43歳のピアノ発表会はここで終わりません。
「では続いて、この方をお呼びしたいと思います。」
三舩さんが登場しました。独奏のあとは、連弾の時間。遂にやってきました。一難去ってまた一難ではありませんが、一曲終えて、もう一曲。しかも、連弾曲はトロイメライに比べテンポも速く、指がもつれる恐れがあります。水玉パジャマとゴージャスなネグリジェがグランドピアノの前で並びました。さぁ、きらきら星は輝くのでしょうか。
こちらに合図を送ると、三船さんの指が鍵盤の上で動きはじました。会場から笑い声が起こります。というのも、この曲はとてもシンプルなきらきら星から始まるので、りょうちゃんの発表会という雰囲気になったからです。しかし、僕の手も動き出し、主題がうねるようにグルーブし始めると一気に空気が変わりました。
「ここは右手だけにしましょう」
「ここは左だけにしましょう」
事前のアドバイスで危険度が高い部分は無理をせず、スムーズに弾くことを優先していました。こちらが崖から落ちそうになったら手を差し伸べてくれます。そのおかげで、守りに入ったり、どこかへ旅立つこともなく、最後の音にたどり着くことができました。
「きらきら星は輝きましたでしょうか?」
星の煌めきのような会場の拍手の中、遠藤さん、林さん、yumiさんもステージに戻ってきました。
「うたたねクラシック、次が最後の曲になります」
最後は「waltz in August」を演奏することになっていました。この曲は以前ロケットマンのアルバムに収録したものですが、数年前のきらクラ!公開収録でクラシック・アレンジしていただいたバージョンがあったので、クラリネットをフルートに代えてお届けすることになっていました。しかし、ピアノから聞こえて来たのは、全く違う曲でした。
「真理さん、誕生日おめでとう!!」
ピアノ伴奏に、メゾ・ソプラノとフルートも加わり、この日誕生日を迎えた真理さんへのハッピー・バースデー。もちろん、真理さんにはサプライズでした。
「さて、いよいよ、これが最後の曲になります」
真理さんへのサプライズで、さらに一体となった会場で響くwaltz in August。自分で作った曲が、素晴らしい演奏家によって奏でられる時間は、誰よりも至福の時間だったと思います。
「ありがとうございました!!」
最後まで暖かい拍手と眼差しに包まれて、うたたねクラシックは全てのプログラムを終えることができました。うたたねどころか、お客さんの集中度は高かった気がします。この会場で響いた音、全てが愛おしくなる瞬間でした。
「すごくよかったですよ!」
舞台袖で、他のメンバーも43歳の発表会を見守ってくれていたようです。
「ほら、見てください!完全に親子ですよ!」
そう笑って見せてくれた連弾の写真は、確かに、セレブ親子のピアノレッスンのようでした。
「ごめんね、せっかく来てもらったのに」
楽屋のクローゼットにかかっていたスーツはこの日、出番はありませんでした。帰り支度を済ませた僕たちは、車で博多駅に向かいました。