「この道でいいのかなぁ…」

 渋谷駅を出て、歩道橋を渡ったその場所は、センター街の方とは違い、若者が集う場所というよりは、ただごちゃごちゃしている印象。年季のはいった雑居ビルが並ぶ坂道が不安を募らせます。雑誌のぴあを片手に歩く19歳。彼を待っていたのは、それまで足を運んだことのある映画館とはまるで違う世界。どこか成人映画館のような怪しい雰囲気に戸惑わずにはいられません。はじめて訪れたユーロ・スペース。やっと辿り着いた安堵を緊張が上回ります。

 現在は場所も移り、建物も新しくなっているそうですが、当時は、それがなければ一生行かなさそうなくらい、訪れる者を不安にさせる場所にありました。単館映画なる言葉を耳にしはじめる前からユーロ・スペースは、独自の視点でセレクトした作品を公開していました。19の僕が、どの程度ハリウッド映画に対して冷めていたのかわかりませんが、雑誌で掲載されていた言葉が僕を、その場所に誘ってくれたのかもしれません。

「学生、一枚」

 扉を開けると、え?ここで?というくらい、小規模な客席が待っていました。映画館というよりホームシアターのような空間。スクリーンもあまり大きくありません。ポップコーンや飲み物売り場くらいはあったかもしれませんが、ポップコーンを買うような気分にはなれませんでした。

 よほどのことがなければ映画館を訪れない僕がなぜいまここにいるのか。まるで呼び出された生徒のように、淡い期待と、不安を抱きながら上映を待つ時間。派手な予告編もありません。それなりに客席が埋まったころ、上映が開始されました。

 はじめてのイラン映画。芝居なのか、ドキュメンタリーなのか、一生懸命言葉を放つ子供達は、演技をしているようには見えません。子供たちの瞳が次々と映し出されるスクリーン。男の子が間違えて持ち帰ってしまったクラスメイトのノートを返しにいく、ただそれだけの話。これを返さないと、彼女が困ってしまうから。少年は、汗を流してジグザグの坂を登ります。とてもシンプルなのに、僕は、全米ナンバー1の映画以上の衝撃を受けました。

「こんな素晴らしい世界があったのか…」

 予算はきっと雲泥の差でしょう。しかし、そのスクリーンで描かれていた、純粋な心。少年の瞳。それらは宇宙よりも大きなものでした。

 それが、僕がキアロスタミに出会った瞬間でした。「友だちのうちはどこ?」日本での公開は1993年。僕がまだはたちになる前。それから、「オリーブの林をぬけて」、「そして人生は続く」。やわらかなストーリーは、どれも心に残るものばかり。それからというもの、彼の作品だけでなく、「運動靴と赤い金魚」など、イランの映画を観るようになりました。イラン映画が、選択肢に加わりました。そして、イスラムというものを、誤解していたことに気がつきました。

 すべてを見たわけではないですが、この国の映画を知ってしまったら、ほかの映画鑑賞に支障をきたしてしまうほど、価値観が変わります。僕が、このような人間になったのは、僕が僕であるのは、この監督の作品のおかげかもしれません。なにを求めているのかわからないまま向かった映画館で出会った光はそれくらい、眩しいものでした。

 人生のなかで、すべての光に出会うことは不可能で、出会えるものは限られています。僕は、あのとき、あの光に出会えてよかった。彼の作品が、この世から消えることはないでしょう。僕の頭のスクリーンは、ずっと、あの瞳を映しています。アッバース・キアロスタミ、素晴らしい映画を、ありがとう。