笑点のそれに比べれば、大したことではありませんが、こちらはもうすぐ666回。かつてもお伝えしたと思いますが、かれこれ二十年ほど前にお話をいただいた、12回限定のメールマガジンに端を発したものが今日まで続いています。当時は、世の中に「メルマガ」という概念が生まれて間もない頃で、僕のところにもお話が来たのです。ツタヤオンラインというサイトのいちコンテンツ。スマホのない時代なので、ガラケーのiモードで何度かカーソルを移動させるとたどり着くものでした。

 当時から日曜日の配信だったか忘れてしまいましたが、無料配信で、たしか返事なども読ませてもらった記憶があります。現在、どれくらいの人のケータイやスマホに届いているのかわかりませんが、ちょろちょろと流れる水流のように毎週配信される僕の言葉たちが、直接社会に影響を与えるわけでもなく、(与えようと思えば与えられますが)、石を穿つことも願っていません。それどころかむしろ、穿つことのない雨だれを目指しています。この水滴が穿つのか穿たないのか、いずれにしても、ここまで続いたのには理由があります。

 まず、ひとつ言えるのは、いつでもやめられるから。誰にお願いされているわけでもないから、いつでもやめられる。なにがなんでも1000回まで続けるなんて思ってもいないし、ましてや、最初は12回だけという条件。必ず書籍化に結びつけようとか、利益を得ようという邪念はありません。休みたければ休めばいい、やめたければやめればいい、という無理のない環境こそが、今日まで継続させたのでしょう。

 じゃぁ、お金にもならないことをどうしてやるのかといえば、これが、日常を支えるものだから。文章を書くことは決して容易なことではないですし、配信される以上それなりのクオリティーも求められます。しかし、文章を書くことで、書こうとすることで、自分と向き合う時間が生まれる。頭のなかにある混沌とした世界が整理される。それは、かぎりなく、ぼーっとする行為に近いかもしれません。この時間が、日常に潤いを与えてくれるのです。

 また、頭のなかにあることを言葉にすることの大切さ。これも簡単なことではないけれど、頭にも心にも、とてもいいことだと思っています。それには僕の場合、週一回の無料配信がちょうどいいのです。毎日であれば、必要以上にアンテナを張ってしまい、日常を脅かしてしまう恐れがあります。また、無料にすることで、強制や義務ではなく、楽しく文章を構築できる。だから、曲のような文章になることを心がけています。時間とともに流れるものだから。耳からはいってくる音も、目からはいってくる言葉も、どちらもメロディー、音楽なのです。
 
 それは週に一回カコンと鳴る、ししおどしのようなもの。なにも穿つ必要はないのです。




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