「じゃぁ、乗ってください」

そういうと、彼女は大きな荷物を抱えながら助手席に乗りました。

 同じイベントに向かうからとはいえ、僕が、助手席に乗せることに抵抗を抱かなかったのは、彼女の才能かもしれません。それは、スタジオにおいても同じで、あの椅子に座っていることに抵抗を感じている人は、あまり多くないのではと思っています。

 脇汗が滲むほど一生懸命で、力を込めた原稿読み。間違いなく、これまでとは違う音色ですが、違和感はあっても、不快感はありません。僕にとっては、いままでの同級生的な関係から、かなり年が離れた、例えるならCMの堤真一さんと高畑充希さんのような、上司と部下的なイメージもあったのですが、助手席に座ることの抵抗のなさ加減は、同性とも異性とも感じさせない、妹のような存在かもしれません。

 いままでのことを、ほとんど知らなかったのですが、 僕なりに一度共演してみて決めたことがあります。それは、なにも言わないでおこう、ということ。見放しているわけではありません。なにかアドバイスすることでプレッシャーになってしまうよりは、自分で気づいて成長してほしい。自分の力でこの山を登ってほしい。だから、ほかの方がどう接しているかはわかりませんが、よほどのことは別として、この子は放っておくのがいい、と判断しました。

 また、お茶の間の人たちに、変化を楽しんでほしいというのもあります。いまは、荒々しく、ごつごつしているけれど、この番組は、キー局の番組とは尺度が違います。整えられているものが必ずしも功を奏すとは限りません。その整っていない感じや荒さを受け入れる土壌はできていると思います。そして、ごつごつした部分が月日とともに丸くなっていくさま、力任せの荒々しい音がまろやかになっていく過程こそ、旨味であり、お茶の間に届けないともったいないと感じたのです。

 緊張をほぐすことはしても、「こうしたほうがいい」という具体的なことは言わない。登るべき山はこの山だよ、とは言っても、登り方、ルートまでは言わない。とてもいじわるなようですが、彼女の一生懸命な姿からは、勘違いして調子に乗っている印象はないので、僕は、彼女が遠慮なく、臆することなく、のびのびできる環境・空気を作ることに努めたいと思います。そうすることで、上田まりえという楽器がよく響くことでしょう。
 
 きっと、脇汗がなくなったらなくなったで、さみしくなるでしょう。なので、どうか、いまだけの音色を、そしてこれからの過程を、味わってほしいと思います。