と言ったら大袈裟に聞こえるかもしれませんが、当時の若手芸人にとっては、それくらい憧れの場所でした。全国ネットの生放送。華やかな芸能人が集う場所。あまたあるテレビ番組のなかでも、ひときわ輝いていて、だれもが知っているだけでなく、みんなの生活リズムになっている番組。あの空間のなかにはいることは、この世界を目指す者にとって、夢のひとつでもありました。

 僕がはじめてアルタを訪れたのは、笑っていいとも!のコーナーゲストとして。2週に一度という頻度で、たしかもうひとりは有吉くんだったと思います。それまでは、事務所の先輩であるネプチューンさんが出演している画面を、指をくわえて眺めていました。

 テレフォンショッキングのコーナーではなく、コーナーゲストなのはもちろん、レギュラーを視野にいれているから。当時、いいとものレギュラーと言ったら、それは芸能人としてのステータス。社会的信用。全国区の顔。得るものがとてつもなく多いのですが、当時はそんな冷静な分析もなく、ただただ、あのメンバーに加わりたかったのです。そんな思いを抱えながら、アルタに向かっていました。

 その思いが現実になったのは、もちろん事務所やプロデューサーのおかげもありましたが、それでも、ついに甲子園出場が決まったような感覚に、素直に喜びました。しかし、全国区のフィールドは甘くはありません。そこにいるのは、なにひとつ番組に貢献できていない自分。ゲストで登場していた時のように、うまくはいりこめません。立場が違うと、こんなにも変わってしまうのかと、苦悩する日々。次第に、アルタに向かう足取りが重たくなっていきました。

「お前、絡みづらいな」

 タモリさんの言葉に、会場が笑いに包まれました。東野さんに頭をはたかれるようになりました。そのあたりから、シュールの貴公子はいなくなりました。そうして僕は、3年半、毎週足を運んでいました。小さな楽屋。前説の声。あそこには、あの場所でしか得られない、独特な緊張感があります。そうして、本番3秒前にクリックの音が鳴り、あの曲が流れはじめます。

 笑っていいとも!を見て育ち、笑っていいともを見て、この世界への憧れを抱きました。テレビの世界で、バラエティーの世界で、あれほど世の中を明るくした番組はあったでしょうか。そうして、時は経ち、番組は終了し、あらたな「お昼休み」がはじまりました。

 しかし、再びアルタを訪れる機会がありました。何年かぶりに足を踏み入れると、あの頃の懐かしい匂いがしました。そして、僕の名前が貼ってあったのは、タモリさんがずっと使用していた楽屋でした。

 もしかすると若い世代には、スタジオ・アルタを知らない人がいるのでしょう。これから、「いいとも!」を知らない人たちが増えていくのでしょう。あの場所に足を運んだ経験は、いまでも大きな糧となっています。

 そうして迎える、スタジオ・アルタ最後の日。そんな節目に、あのスタジオを、あの楽屋を使用できること。「5時に夢中!」に感謝しています。土こそ持って帰れませんが、あの楽屋の空気を、アルタの空気を、たくさん吸って来ようと思います。