想像した通りの空が広がっていました。あれから数ヶ月。衝動的に生まれた想いは消えることも、冷めることもなく、この日までたどり着きました。まだまだ先だと思っていたのに一気に追い上げてきた日曜日は、まさしくこんな日曜日だったらとイメージしたとおりの冷たい空気とあたたかな光。家のピアノの蓋を降ろし、楽譜など忘れていないか何度もチェックすると、ベージュのビートルが家から離れて行きました。

「もう、やるだけのことはやったから」

 車内はコンビニで煎れたコーヒーの香り。完成のない世界ではありますが、もう、人事は尽くしたという自負がありました。あとは運命のようなもの。天命を待つのみ。それに、今日はピアノリサイタルではありません。あくまでフーマンの日曜日。たとえ間違えたとしてもそれがフーマンの音。この日の段階で届けられる音を聴いてもらう。結果、どのような感情が生まれるかはやってみないとわからないけれど、すべてを受け入れる覚悟はありました。

「本日は、よろしくお願いします」

 商店街を抜け、車は会場の前に停まります。若干はやく到着した僕は、楽屋で一息つくと、さっそくピアノを触りにいきました。その日によって機嫌があるといいますがどうなのでしょう。機嫌がいいのか悪いのかわからないまま弾き始めれば、静寂に包まれた空間にスタインウェイのグランドピアノから無数の音たちが飛び出してきました。反響が大きく、ペダルが不要になるほど。誰もいない空間で、自分の奏でる音に包まれる日曜の朝。

「もう、そんな時間か・・・」

 一通り弾き終えて楽屋に戻れば、入口から長い列が伸びているのが見える、開場時間10分前。

「前よりはリラックスできるかな・・・」

 曲数こそ多いものの、会場の規模や趣旨からすれば、今日はリラックスして弾けるのではないだろうか。楽しい気分で進められそうな予感。そして開場すると、一匹、二匹と、羊たちが飛び込んできました。ピアノの周りがゆっくりと白く染まり、徐々にもこもこしてきました。

「それでは、準備ができましたので」

 連絡を受け、楽譜を片手に階段を降りて行きます。扉の前で深呼吸して、あたたかい拍手を浴びながら、ピアノめがけて歩いていきました。この拍手を浴びた途端、気持ちが引き締まりました。

「本日は、お集まりいただき・・・」

 たくさんの羊たちに見つめられる中、まるでピアノを見て見ぬ振りするように、いまの心境や、今日に至るまでのこと、いろいろと話し続けています。現実逃避なのか、なかなかピアノの前に座ろうとしません。もう、あそこに座ってしまったら逃げることができない。そして、15分くらいたったでしょうか。

「もう、避けて通れないですね・・・」

 観念するように椅子に腰をおろすと、意識して体が硬くなってしまう前に、鍵盤の上に手を載せました。一瞬の静寂。そして、最初の音を鳴らすと、あとは指が勝手に動きはじめました。

「ありがとうございました」

 ドビュッシーの曲からはじまったフーマンの日曜日は、羊たちのおかげで終始和やかな雰囲気のまま進めることができました。いたるところでミスも発生しましたが、それも含めてフーマンの音。届けたことに意味がある。

「感想は、こちらに書いてくださいね」

 ポストカードと引き換えに、羊たちから一言ずつ感想をもらいます。それらの言葉が、14曲の演奏を終えた僕の体の中にあるものとブレンドされて。今日、ここで感じたものが、生まれた感情が、僕の人生の舵取りをすることになります。それがどうであっても、今日はかけがえのない一日、素敵な日曜日になりました。