「きゃっ!」

 甲高い声が、テレビの前のソファに座っていた僕の体を捻りました。床には赤く染まったパスタが広がっています。

「落としちゃった・・・」

 あまりの無残な姿に、彼女はただ笑うしかありません。

 彼女と知り合ったのは、大学二年の春。ラテン・アメリカ研究会とテニスサークルに所属していたのですが、二年生になって最初の活動は、たくさんの新入生を勧誘すること。とくに星の数ほどあるテニスサークルはこれを怠ると、存亡の危機に関わってきます。勧誘といっても、女子大の門からでてくる学生たちに片っ端から声をかけるという、ナンパのようなもの。ただ、手当たり次第ではあるものの、その勧誘の熱量は、対象の可愛さに大きく左右されるのですが、女子は女子で、ちやほやされて悪い気はしないのか、冷たい態度をとることもなく、一応は耳を傾けてくれます。なかば強引に話を続けると、近くの喫茶店に誘導しました。

「夏は高原で合宿があって、冬はスキーをやって、週末は飲み会が・・・」

当時のテニスサークルというのは、どこもそんな感じで、一部の熱心な部員以外は飲み会のときにだけ顔出すような、ちゃらちゃらした人たち。

「それじゃぁ、もしよかったら、こんど見学においで!」

 ポケベルだったのか、家の電話だったのか、ケータイのない時代にどうやって連絡をとったのか、次に彼女と会ったのはサークルの練習場ではなく、渋谷の駅前でした。サークルには入らなかったけれど、彼女とふたりで会うことになったのです。正当化するわけではありませんが、抜け駆けをしたのではありません。サークルにははいりたくないけれど、会いたいといわれたのです。

「今度の日曜日、だれもいないからうちにくる?」

何度かデートを重ねていくうちにでてきた、彼女からの言葉。

「ここにいれちゃって大丈夫だから」

 蝉が鳴いていました。横浜からやってきた親の車が、世田谷の一戸建ての駐車場に吸い込まれていきます。

「じゃぁ、いまから作るから、ちょっと待ってて」

 テレビの音と料理をする音に挟まれて、19歳の僕はただソファに座っていました。今日は、ひょっとすると、ひょっとするのだろうか。そんな意識と格闘しながら、パスタができあがるのを待ちます。そして30分ほどたったでしょうか。いい香りがしてきました。テーブルの上にサラダが運ばれたあと、例の悲鳴が家中に響き渡ります。二枚のお皿を同時に運ぶ途中、ちょっとした傾きで、パスタは滝のように落下していったのです。

「ふたりで分ければいいよ」

 さすがに床に落ちてしまったものを戻すわけにはいかず、一人分のパスタが二枚のお皿に分かれていきました。そうして、ようやく画面がビデオに切り替わると、スタンバイしていたビデオテープが動き始めました。せつない唄声が流れてきます。誰もいない家で、女の子とふたりきり。手作りのパスタを食べながら。それが、僕と「バグダッド・カフェ」との出会いでした。状況が状況なゆえ、映画だけに集中というわけにはいかなかったけれど、これまで見てきた映画とは違うなにかを感じました。


 あれから20年。久しぶりに訪れた「バグダッド・カフェ」での言葉が、音が、表情が、あのとき以上に心に響き、涙がとまらなくなりました。

 時代が変わっても色褪せない作品はありますが、僕にとってこの「バグダッド・カフェ」は、むしろ輝きを増している気がします。一見、おかしな人のように見えるけれど、きっと、どこにでもいるような人たち。そんな人たちの心の通い合う時間と空間が、あまりに心地よく、あまりにせつなく、可笑しくて。誰も死なない。だれも病気や障害を持っていない。あぁ、ほんとうに素晴らしい映画だ。この映画を素敵だと思える大人になれてよかった。

 夕張国際映画祭でのトークショーの前日、メッセージを送りました。20年越しの、感謝のメッセージ。あのときは言えなかったけれど、時間は経ってしまったけれど。僕の、映画に対する考え方は、この映画との出会いで大きく変化した気がします。あのときこの映画に出会っていなかったら、ユーロスペースにも行っていなかったかもしれません。

「あのとき、素敵な映画を教えてくれて、ありがとう」