「一週間休むことになりました」


診察を終えた彼は、内緒話をするように伝えてきた。


「舞台で調子に乗りすぎたんですかね…」


喉を休ませる時間がまったくなかったのだろう。翌日、生放送を欠席するニュースが列島を駆け抜けた。代打MCをお願いすることにためらいや迷いはなかったのだろうか。


「その方が、面白いじゃないですか」


それは自分よりということではなく、予定調和を破壊する、という意味なのだろう。



「もう、大丈夫なんですか?」


週末、彼はいつも通り、六本木ヒルズにいた。


「完治っていうわけではないんですけど、まぁ、どうにかなりますよ」


 療養中、番組は観ていたのだろうか。


「夏休みをいただくときは海外なのであまり気にならないのですが、今回は普通に都内で生活していますからね。気にならないわけにもいかなかったですし、観ないと失礼ですから」


 やはり不安や焦燥感のようなものはあったのだろうか。


「嫉妬のようなものはありましたが、不安はありませんでした。こんなことで焦っているようでは、帯番組の司会なんて務まらないですよ」


 3年目の余裕なのだろうか。そして通常通り、4時間の放送を終えた。



「いま、アルバム制作中なんです」


都内のレコーディングスタジオ。仕事の合間に、彼は、このスタジオを行き来する。いつになく真剣な表情で音をチェックする。いわく、耳の仕事が一番疲れるそうだ。彼はこれまで、メジャーレコード会社から何枚もCDをリリースしているが、より自由に作ることを優先するため、昨年、自主レーベル・テノヒラレコードを立ち上げた。


「この曲は、ふかわさんが作ったんですか?」


「そうです。DJにもいろいろなタイプがいまして」


彼自身が作詞・作曲・プログラミングしたものを、これまで数々のアーティストが唄い、映画音楽を手掛けたこともある。また、自分自身が唄うこともあるそうだ。


「抵抗がないわけではないですが、ひとつの楽器として録音しているだけなので。もちろん、自分が歌手だなんて、微塵も思ったことはありません」


それにしても、この生活リズムでいったいいつ曲を作っているのか。無理を言って、自宅をのぞかせてもらった。



「地下があるんですか?」


真っ白な壁にかかったライトが階段を照らしている。


「そうです。小さい頃の秘密基地的な憧れが、いまだにあって」


扉を開けると、奥にパソコンがあり、脇にキーボードや音楽機材が並んでいた。


「ここで作曲されるんですか?」


「作曲というと大げさですが、日記を綴るような感覚です」


日記となると、毎日なのだろうか。


「毎日触らないと、落ち着かないんで」


 お笑いタレントと話しているとは到底思えないが、その言葉に違和感もない。


「僕の場合、テレビの仕事と拮抗して生まれている部分もあるので」


 どちらか一方にしてしまうより、両者を行き来することで活性化するケースは確かに少なくない。


「あれは、ピアノですか?」


隣の部屋に続く扉が開いていた。


「そうです。キーボードがあるから滅多に弾かないですけど…」


そう言うと、まるでおしゃべりでもするかのように、彼はピアノを弾きはじめた。女性のようなしなやかな指が鍵盤の上で踊る。かつて、雑誌のインタビューで、ピアニストになりたかったというのを読んだ記憶がある。ヨーロッパを渡り歩くピアニストへの憧れ。そして挫折。


「ピアノは趣味で楽しめるからって。でも、我慢できなかったんですよね」


 ラジオのブースにキーボードが運ばれていたのを思いだす。彼にはきっと、言葉で表現できないことがあるのだ。



踏切の音が聞こえる。とある喫茶店の前に、彼の自転車が置かれていた。扉を開けると、まるで別世界のように静かな空気に包まれる。


「ここの胡麻プリンとコーヒーが最高なんです」


アンティークなラジオが並ぶ店内。スピーカーからこぼれてくる心地よい音。車のなかで話していたことを、ここで詳しく伺うことにした。


「そんな、大した話じゃないですよ」


そういいながら、彼は、まるで音楽にのせるかのように、穏やかな口調で語りはじめる。


「細い管を鼻から通して声帯というものを画面越しにみたとき、気道が開いたり閉じたりりしていて、まさに楽器の弁のようで…」


そのときの写真を探している。


「さらに、声がでなくなることを体験して、いままで以上に実感したんです。人生が音楽なら、人間は楽器なんだって」


 life is musicは、彼のアルバムのタイトル。どうして彼はそこにこだわるのだろう。


「みんな、音楽を奏でているんです。それぞれ違う楽器、違う音色で。それを認識することが大事なんだと思うんです。人生は音楽だって思ったら、いろいろな辛いことも乗り越えられるかなって。すべて音楽だって思えたら、もう少し、寛容になれるかなって」


人々が持つ、それぞれの音色。そこには、良いも悪いもない。


「だからこそ、出会いが大事なんです。自分という楽器をだれに演奏してもらうかによって全然音色は異なります。出会いがすべてです」


二人でのトークはつまり、演奏者と楽器ということなのだろう。


「大袈裟かもしれないですが…」


アイスコーヒーのグラスがコースターの上に置かれる。


「司会は、指揮者なんです」


意外な表現だった。


「周囲にいる人たちは、みな楽器。だから、それぞれの音色を響かせて、ひとつのハーモニーを形成する。楽器の特性こそありますが、どんなテンポで、どんなハーモニーになるかは指揮者次第。だから、司会をしているときは、指揮をしている気分なのです。生放送はいわば、ひとつの交響曲」


なるほど。あのときの汗は、アスリートではなく、指揮者の汗だったのか。指揮者であり、演奏者であり、自らが楽器になる。そうやって、自分自身を使いわけているようだ。


「僕自身も、素晴らしい音色を響かせたいですよね、ひとつの楽器として」


人間という楽器は、その人生の歩み方、考え方でその音色が変わってくるのだろう。人の心に届く声。音。


「ほとんどの楽器がそうであるように」


続けて、彼は話した。


「ふかわりょう、という楽器を、時間をかけて素晴らしい音色にしたいと思っています。」


それは単に、美声になりたい、ということではない。人の心に響く音色になるために、素晴らしい楽器になるために、多くの時間と経験が必要だと考えているのだろう。最後に、こんな質問をしてみた。


「ふかわさんはいま、人生の第何楽章ですか?」


これは、ラジオ番組でふかわがときおり口にする言葉で、番組のステッカーにもなっている。それに対して彼は軽く微笑むと、次の言葉が返ってきた。


「第3楽章ですかね…」


彼は毎年、アイスランドを訪れている。そこで何をみて、何を感じているのだろう。きっと、膨大な量のエネルギーを吸収しているに違いない。指揮者として、演奏者として、ひとつの楽器として、彼は、どんな音色を届けてくれるのだろう。第3楽章はもう、はじまっている。