存在はしていても人々に認識されていない事象というのは無数にあって、認識されていないものは、目に見えるものであろうとなかろうと、存在していないに等しい扱いを受けてしまうもの。これからあげるふたつのハラスメントは、決していまにはじまったことではなく昔からあったけれど、人々に認識されていなかった価値観。漠然と認識されていたものの、見合った言葉が存在しなかったために、社会に、人々に、浸透しなかった概念。そのため気が付けば、それらが世の中を好き放題に荒らしてしまいました。とくに昨今の暴走具合は目に余るものがあるので、あらためて、人々が認識できるように、言葉を提示したいと思います。


 ひとつめは、この読者のみなさんやラジオのリスナーの方は何度も耳にしている言葉。そうです、「ジャスティス・ハラスメント」。これはかなり前から提唱してきましたが、じんわりとではありますが、ようやく人々がこの言葉を手にする直前まで来ている気がします。いうなれば、正義による圧力。正義による暴力。正義を振りかざす人々。正義は押し付けるものではないのに、正義であればなにをしてもいいと勘違いしている人々。正義を盾に暴れる人々。悪者や社会的に弱っている者を、徒党を組んで、こてんぱんに打ちのめす。よってたかる島。そこに正義なんてあるはずがない。規制ばかりの風潮や身勝手なクレーム、イナゴの襲来かと思わせるほどフラッシュを浴びせる「散髪後」の記者会見などは、典型的なジャスティス・ハラスメントと言えます。


 そしてもうひとつは、「キリトリ・ハラスメント」。この言葉の響きでだいたい想像できるかと思います。話すトーンや前後の流れなどを削ぎ落とし、都合よく発言を切り取って吊し上げる行為。切り取るだけならまだしも、切り取った上に勝手に「見出し」をつけて、事実を歪めてしまう。これこそねつ造であり、やってはいけないこと。真実や真意が伝わらない。その結果、切り取られた部分やその大袈裟な「見出し」に踊らされ、実際に観ても聞いてもいないのに大騒ぎする「キリトリ・チルドレン」が大量発生。「キリ・チル」のような、「記事」を疑う力がない人々、リテラシーが備わっていない人々が、世の中の誤った風潮、よってたかる島を形成してしまう。


 このふたつが、昨今の世の中を乱しているのですが、「ジャス・ハラ」と「キリ・ハラ」は、セットで暴れるケースが多いです。相乗効果で猛威を振るう。厄介なのは、当事者たちに自覚がないこと。自分たちは常に正しいと思っていますし、彼らも生きるために必死です。自分が「ジャス・ハラ」の一部をなしているなんて想像だにしていないでしょう。もっというと、いくら説明しても、わからない人には絶対にわからないのです。


 存在はしていても人々に認識されていない事象というのは無数にあって、それらはまるで、存在していないかのような扱いを受けてしまう。だからこそ、いま必要なのは言葉。世の中にはびこる漠然としたものを明確にし、浮き彫りにする力。人々に、社会に、認識してもらわないといけません。個人の誤った意識が集まって、大きな力に発展してしまう恐ろしさ。昔からありました。でも、もう、放っておいてはいけないのです。