そこが行きつけのカフェになると感じたのは、入った瞬間、耳に届いた音のせいかもしれません。現にいま、こうやって食事のあとのプリンをたいらげたというのに、椅子にくっついてしまったかのように、腰が持ち上がりません。どうやら直感は間違っていなかったようです。
原付を家に置き、歩いて7,8分。おそらく開店したばかりの平日のランチ前。遂に僕はその扉を開けました。静かな店内。単にBGMが心地いいというよりも、音そのものが心地いい。やさしいウッドベースが誰もいない店内を漂っています。奥に進むと、まるでジャズ喫茶のように大きなスピーカーが待ち構えていました。大きな窓。木製のテーブル。居心地のよさは、ほかのお客さんがいても変わらなそうです。聴かせるでもなく、聞こえないほどでもない、絶妙な音量。その距離感と同じように、店主の男性が佇んでいました。
「あれは、ラジオですか?」
棚の上に、たくさんのラジオが並んでいます。それも、どこか懐かしいアンティークなラジオ。それらが、まるで観葉植物のように店内を彩っています。お店の名前のとおり、たくさんのラジオが並んでいるカフェ。ラジオ好きに悪い人はいない、とまでは言わないにしても、ラジオが好きだと聞くと、どこか安心してしまいます。
「ほとんど外国のものなんです。海外のラジオはカタチがいいんですよ」
この時代はそれが普通だったのか、ラジオだけでこんなにも大袈裟に場所をとっているのは、スマホでなんでもできてしまう現代、とても贅沢なことかもしれません。今後、このようなサイズのラジオは生まれることはないのでしょうか。話によれば、周波数の帯域が若干異なるものの、海外のラジオも日本で使えるらしく、店内のいくつかはまだ聴けるのだそう。食べ物も、器によっておいしさが異なるように、こんなかわいらしいラジオから流れてきた音や声は、また違った味わいになるのでしょう。それこそ、こんな雰囲気のカフェなら、同じコーヒー一杯でも、同じ30分でも。この店で味わうものは、どれもおいしく感じてしまうだろうと思ってしまうほどこのカフェは、居心地のいい器なのです。
それにしても、主人の声がとても穏やかで、それもこのカフェのサウンドのひとつ。彼が、パッドを操作すると、別の音が店内を漂いはじめました。浮遊感のある音。
「これはアルゼンチンのアーティストでね」
かつて通っていた、近所のレンタルビデオ屋を思い出しました。数年前につぶれていまはないのだけれど、品揃えこそ少ないものの、仕事帰りに寄るのが好きでした。店員の方に「おすすめは?」なんて訊くと、20分くらい話し込まれて。奥から女性がはいってきました。
「いま食べてるんだから、ほどほどにね」
話好きな旦那さんのブレーキ役でしょうか。目の前の器には黒ゴマプリン。コーヒーゼリーも惹かれたけれど、アイスコーヒーにコーヒープリンはさすがに難易度が高いでしょう。南米のアンビエントサウンド。読書をしたり、原稿を書いたり、ここでだったら、この器があったら、何時間でも、「時間を味わう」ことができそうです。
「また、来ますね」
店をでると、踏切の音が聞こえてきました。