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2007/12/4(新境地)

「オッケーイ」「っしゃー」古田元監督、解説で新境地

…MSN産経ニュース

 

 

 《野球アジア選手権 で3戦全勝、見事に北京五輪 出場を決めた星野ジャパン。接戦を制した韓国戦、終盤に逆転劇を演じた台湾戦は大きな注目を集めたが、それ以上に話題となっているのが中継したテレビ朝日での古田敦也 元ヤクルト監督(42)の解説だ。

 

 現役時代はデータに基づく緻密なリードとシャープな打撃で「理論派」として名を馳せた。しかし今大会の解説では一転、「オッケーイ」「っしゃー」「頼む!」といった感情的な表現を多用。先月28日のヤクルト懇親ゴルフ大会でも「解説というより応援に行きます」と“予言”していたが、技術的説明などはあまり聞かれず、特に「オッケーイ」については「10秒に1回言ってた」「(いい当たりなら)日本選手がアウトになっても言ってた」などネット上でもブームの兆しを見せている。
  
 この日発表された流行語大賞 にはひと足遅かったが、その熱い叫びが共感を呼び、お茶の間のテレビ観戦を盛り上げたのは確かなよう。“古田節”でファンとの結束を強めた星野ジャパン が、次は五輪の舞台で悲願の金メダルを目指し突っ走る》 

 

 

 僕は、これを『古田敦也の松木安太郎現象』だと考えています。テレ朝で中継すると、みんなこんな風になっちゃうんでしょうか。あるいは、こんな風な人を優先して解説に据えるんでしょうか。

2007/12/3(生誕29周年)

生誕29(ニク)周年、「キン肉マンの日」認定

…Yahoo!ニュース(VARIETY)

 

 

 《1980年代、子どもたちに圧倒的な人気を誇り、今も続編がコミック連載されている国民的人気キャラクター「キン肉マン」が、2008年で生誕29(ニク)周年を迎えた。
 

 これを記念して、「復刻版キンケシ全418体」付きのコンプリートDVD‐BOXが発売されることが決定(完全予約限定生産)。今回完全復刻する“キンケシ”は、83年のテレビ放送スタートとほぼ同時に発売され、社会現象になるほどの爆発的な人気を博した、カプセル入りミニフィギュアシリーズ。現在もコレクターは多数存在し、全部で418体あるこのシリーズは、1体ごとの希少価値が非常に高い注目のアイテムだ。
 
 そらに、このほど、毎年「29日が金曜日となる日」が「キン肉マンの日」として、日本記念日協会より認定された。

 
 記念日制定後初の「キン肉マンの日」となる2008年2月29日(金)には、新宿バルト9にて、キン肉マン映画祭の開催が決定した。

 
 現在は、「キン肉マンII世」が週刊プレイボーイで連載されており、80年代のコミック、アニメでなじみのある大人のファンをターゲットに、キン肉マン生誕29周年を盛り上げていく。1年をかけてのプロジェクトとなり、この先もガチャガチャ(カプセル自動販売機)でのフィギュア復刻などの企画が予定されている》

 

 

 返す返す残念に思います。「キンケシ捨てずに取っておきゃよかったなぁ…」と。われわれの年代だと、ほとんどの人がキンケシを集めていたわけですが、だけど普通の人はある年齢になると、それもどこかにしまうか捨てるかするわけです。

 

 僕は、確か親に無理やり物置小屋にキンケシをしまわれて、じきに捨てられてしまいました。

 

 今の自分であれば、キンケシにフィギュアとしての価値を見出すことはできません。ただ、どうも高値で取引されているらしい、というウワサを耳にすると損をした気分になります。

2007/12/1(「鬼に金棒」篇)

 YouTubeにこんな動画がありました。


1983 大和證券 ワリコー

 

 シティボーイズの面々と割引金融債というのはまったくマッチしませんが、こんな懐かしいCMを見つけてしまいました。

 

 なぜこんなCMを見つけてしまったのかというと、少し前に見た大和證券グループのCMがなんだかよくわからなかったからであります。

 

 動画を見つけられなかったので口頭で書きますが(なんだかもどかしいというか、情けないですが)、外国人たちが、今度の大和證券はどうだ?みたいな議論をしている。モニターに映った大和證券のCMに蛯原友里が出ている。

 「また、エビちゃんか」、

 「オニニ、カナボウ」、

 「?」、

 「鬼に金棒だ」

 というアレです。

 

 一体何が鬼に金棒なんでしょうか。というかこんなことに目くじらをたてる自分もダメなんでしょうか。「エビちゃんという、日本で非常に注目を集めるタレントを擁することで、大和證券グループの勢い・充実振りを否が応でも人々は知ることになる」ということを伝えようとしているのでしょうか、このCMは。

 

 あるいは上記のスタンスそのものを、パロディにして笑わせようとしているのかもしれません。「こんなことで『鬼に金棒』なわけないじゃないか、滑稽だ」ということを伝えたいのでしょうか。

 

 どちらにしても、このCMで何を伝えようとしているのか不明です。直接的にも間接的にも、エビちゃんの存在を周知させる効果はあると思いますが、大和證券グループにとっては何がどう効果をもたらすのでしょうか。

 

 蛯原友里さんと同年代、あるいは彼女に好感をもつ人たちをターゲットにしている。というのならば、そういうものなのかなぁと一応、納得します。

 

 でもやっぱりそれは胡乱なやり方だと思います。イメージ先行型というか、、、金融商品取引法が施行されて金融機関はこれまで以上に襟を正して職務に勤めなければいけないと思うのですが。イヤ、実際は大和證券グループの人たちは一生懸命仕事をなさっていると思いますが、このなんだかよくわからないCMのおかげ、あまり良いイメージを持てません。

 

 1983年のCMのほうが、単純なのかもしれませんが、伝えたいことがよくまとまっていると思いますが。

2007/11/25(稼ぐ人、貯める人、費う人)

新人類富裕層 (しんじんるいふゆうそう)

…Yahoo!辞書(新語探検)

 

 

 《富裕層は年収が3000万円以上、もしくは金融資産が1億円以上ある人びとのこと。マーケティングプランナーの三浦展が著書『富裕層の財布』(プレジデント社)で紹介している。2005年における野村総合研究所の推計では、富裕層の市場規模は167兆円で81万3000世帯とされている。こうした富裕層は高い年収と貯蓄で効率の良い投資を行い、さらに収入がアップするというベストサイクルの中に組み込まれている。

  

 この富裕層の中でも40代から下の「新人類富裕層」は、年少期においてオイル・ショックや公害などの問題を身近に感じていて、成長するにともなって「資源節約」「環境共生」を強く意識するようになっている。そのために富裕層とよばれるようになっても、豪邸は買わずに田舎の農家で暮らしたり、大型外国車には目もくれずに自転車通勤をしたりする。上の世代から見ると、富裕層の概念からあまりにもかけ離れていることからこうよばれるのである

 

 

 《富裕層は年収が3000万円以上、もしくは金融資産が1億円以上ある人びとのこと》とあるんですが、「もしくは」なんですね。決して「かつ」ではない。ということを、つい最近まで気にしてませんでした。

 

 富裕層には、二通りのタイプがあるということです。第一のコース:年収が3000万円以上の人。第二のコース:金融資産が1億円以上ある人。僕はこの区分けをあいまいにしていました。

 

 AND条件の人も当然いらっしゃるのでしょうが、極々少数。多くは、第一か第二かどちらかだと思います。(日本人全体からみれば、第一も第二も少数でしょうが、、、)

 

 ということで、富裕層のタイプのみならず、広く人間一般には第一のコース:稼ぐ人、第二のコース:貯める人、という区分があるんだと思います。そしてもう一つ、第三のコース:費(つか)う人、という存在もあるでしょう。

 

 中世ヨーロッパでは、人は「戦う人:騎士、耕す人:農民、祈る人:聖職者」という身分にわかれていたそうですが、現代の人間のタイプにも、稼ぐ人・貯める人・費う人の3タイプがあるように思います。

 

 この中で、貯める人と費う人の親和性は悪い。お金を貯める人は原則的にケチであると思われるので、どうしてもお金をつかえないでしょう。ただ、人生の、というかお金の目的はつかうことにあるのですが。

 

 費う人になるには、別に富裕層にならずともよいですが、できれば富裕というか余裕をフトコロに得てから、費う人になりたいものです。なので、まずは稼ぐ人になるか貯める人になることが肝要です。

 

 また、稼ぐ人になるスキルと貯める人になるスキルは別物だと考えます。現時点で稼いでなくとも貯めることは可能でしょうし、多くの人にとって(それは僕もあてはまると思いますが)、貯める人になるほうが確実性は高いでしょう。

 

 じゃあどうすればいいんだ、と言われても、僕にはわかりません。わかっていれば、本にまとめて出版するはずです。一つ言えることは、自分はいつ・どういう目的でお金を使うのか、ということをあらかじめ決めておいたほうがいいということです。不要不急のお金を死ぬまで貯め込んでも、後々周囲の人たちの争いのタネになるだけですし、反対に常にギリギリの生活をしていても貧乏神しか寄ってこないでしょう。

 

 「稼ぐ人」のロールモデルは僕の身近にはいませんが、「貯める人」はいるかもしれません。そういう人は多いのではないかなぁと思います。

 

 なんだかまとまりのない話で申し訳ありません。これは要するに、僕自身の金銭観や人生観そのものが、まだはっきりとまとまってないのだと思います。とりあえず、「稼ぐ」と「貯める」は別種の競技だ、ということだけは自分のアタマの中に刻み込まれました。

2007/11/25(書店ポイント制)

書店ポイント制 (しょてんぽいんとせい)

…Yahoo!辞書(新語探検)

 

 

 《これまで書店で売られる本は、全国どこでも同じ価格だった。値引きが行われることはなく、都心のビジネスマンの多い書店でも、地方都市の書店でも全て統一価格が守られてきた。これは書籍・雑誌は「再販(再販売価格維持)制度」に守られていて、書店は出版社から書籍・雑誌を委託という形で一定期間預かり、その期間が過ぎたら出版社に返品することが可能だからである。書店は預かった書籍・雑誌を販売すると、定価の20~30%を委託料として受け取ってきた。

  

 この慣習は戦後から続いてきたが、最近になって書籍・雑誌の購入に際して定価の1%程度のポイントを与え、実質的な値引きを行う書店が登場した。直接的な割引は再販制度で禁じられているため、一定のポイントを提供して金券や景品類に交換できるシステムを導入したのである。出版業界全体で売上げが落ち込むなかで「お楽しみ程度の読者サービスは不可欠」という推進側と、「低い利益率の書店にとってはコスト負担になる」という反対意見の両方がある》

 

 

 僕は某書店のポイントカードを持っていますし、某ドラッグストアのポイントカードも持ってます。某家電販売店のそれもです。そんなことを言わずとも、皆さんも数多くのポイントカードやポイント還元の仕組みを利用されていると思います。でも、書店では異端の慣習だったわけですね。

 

 これは僕だけかもしれませんが、書店やドラッグストアで溜まったポイントをろくに確認していません。店員さんに聞くのも少し恥ずかしくてためらってしまいます。なので、いつか使ってやろうと思っているのですが、まだ十分溜まってないだろうとひとり合点して使わずにいます。

 

 《出版業界全体で売上げが落ち込むなかで「お楽しみ程度の読者サービスは不可欠」という推進側と、「低い利益率の書店にとってはコスト負担になる」という反対意見の両方がある》

 

 僕は業界関係者ではありませんが、出版業界(やそれをとりまく業界)が構造的な不況にあるという話をよく耳にします。なんとかしないといけない、という強い危機感が、古い商習慣を変えようという原動力になっているのかもしれません。

 

 「ポイント」は会計上は負債にあたるものですが、借入金などの負債と違いお客さんから借金をしているようなものです。本当は定価の10%引きで売れるのにもかかわらず、あえて定価で販売している。その分はポイントということでツケさせてください。という感じでしょうか。

 

 このポイント負債は、特に返済期限が決まっていない。その分、いつポイントの償還(還元)を迫られるかわからないので、企業にとっては時限爆弾みたいなものだ。という話を聞いたことがあります。

 

 確かに、僕みたいな中々還元しようとしない客は、実はお店にとってはお得意様というか、できればそのままポイントの存在を忘れてもらえれば最上の顧客なのかもしれません。でも、こればかりはどうなるかわかりません。僕みたいな人もいつか、まとめて大量に還元しようとするかもしれませんし。
  

 「低い利益率の書店にとってはコスト負担になる」、というのは確かにその通りですが、現時点では多くの人がポイントを貯めている最中でしょうし、今後はうっかり客がポイントを廃棄してしまう(書店にとっては負債の棒引き)ということもあるでしょう。しばらくは書店も息がつけるのではないかと思います。

 

 でもそれでは結局のところ本質的な経営改善にはならない。利益率を高めようとすれば売れ筋の本のみを売るしかないが、それではコンビニと同じになってしまいます。個人的にもそんな本屋は行きたくないです。

 

 ということで、当面はポイント制を続けて、購入数や購入金額の多い優良顧客を見つける。そして、店に利益をもたらしてくれるそういったお客さんには、より上質のサービスを提供していくというのが基本路線なのかなぁ、と思いました。

2007/11/24(無視できない教育の流れ)

<ベネッセ>ニンテンドーDSで「進研ゼミ」 来年1月から

…Yahoo!ニュース(毎日新聞)

 

 

 《ベネッセコーポレーションは22日、家庭用携帯ゲーム機、ニンテンドーDSを使った次世代型カリキュラム「得点力学習DS」、ウェブサイト「進研ゼミ中学講座+i」を来年1月から始めると発表した。DSは学年別、5教科計18種類のソフトを同時に発売する。携帯端末を使うと移動時間が有効に使えるうえ、集中しやすいというデータもあることから、同社では効率的な学習ができると期待している。
 
 英単語や重要な用語の暗記、テスト形式での繰り返し学習などで、解答を書き込むと、答え合わせができ、次々に問題を解いていける。専用のタッチペンで「手書き」入力できるため記述式テストが可能なことや、同社調べでDSの中学生の普及率が8割を超えたことも導入の決め手になった。
 
 会見に出席した福島保社長は「DSは、移動中など“すきま”の時間を有効に活用できる。勉強したことを定着させる復習に適している」とメリットを強調。サービス全体を監修した赤堀侃司・東京工業大学教授は「印刷物からパソコンへの“置き換え”ではなく、“ブレンド型”での使用が効果的だ」と解説した。学習結果はデータとして残り、間違えた問題を後で解いたり、試験範囲を指定して重要な内容だけを抽出する期末試験対策の機能もある。
 
 DSが復習、反復練習向けなのに対し、「進研ゼミ中学講座+i」では、従来の印刷物の教材では分かりにくかった内容を、動画やアニメ、オンライン百科事典などを使って補完する。学習の継続を促すため、アクセスや回答の返送が滞ると、受講者にメールを送って励まし、学習を続けられるようにサポートする「コーチ制」も導入する。中学1年生向けから順次教材を増やし、2010年までに中学校3学年に拡大、12年には、すべての会員がウェブ付き版の「ブレンド型」に移行することを目指す。
 
 ウェブ付きの進研ゼミ受講料は1カ月6800円(1カ月払いの場合)で、従来版より960円高い。「得点力学習DS」は1枚3990円。進研ゼミの入会とは別に同社が直接販売する》

 

 

 今振り返れば、僕は闇雲に勉強してたなぁと思います。進研ゼミは中学・高校と取ってましたが、ろくに添削も送らずに、毎月教材を受け流してました。

 

 自分で買った参考書も、結局本棚の飾りになったものがほとんどです。学校の宿題と塾の宿題のみ、強制力があるので計画的に(それは学校や塾の計画なんですが)勉強していました。

 

 この「DS+進研ゼミ」でいいなぁと思うのが、『学習結果はデータとして残り、間違えた問題を後で解いたり、試験範囲を指定して重要な内容だけを抽出する期末試験対策の機能』と、『学習の継続を促すため、アクセスや回答の返送が滞ると、受講者にメールを送って励まし、学習を続けられるようにサポートする「コーチ制」も導入する』というところ。今まで、生徒自身が持っていないといけなかった、勉強に対する工夫とヤル気を、システムでサポートしてくれるというのだから、今の学生は恵まれているのかもしれません。

 

 というよりも、それまでの教育があまりにも旧態依然すぎたのかもしれません。紙と鉛筆で座学、というスタイルが少々幅を利かせすぎたというところでしょうか。もちろんコストパフォーマンスはこれが一番良いのでしょうが。

 

 今後は、学校教育においても、「電子機器になじむこと」というのが重要な課題になるように思います。情報機器やモバイル端末を使いこなすことが、実社会に旅立つにおいて重要な鍵を握るからです。

 

 こういう流れが進めば、入試のスタイルも変わっていくのではないでしょうか。従来の頭の中に記憶したことを効率よくアウトプットするテストから、既存のネットワークや情報を組み合わせて解決策を提案するようなテストへ。徐々にそういった形式が増えていくような気がするし、またそうなっていくべきだと思います。

 

 DSが、単純な暗記の補助ツールに成り下がってしまってはいけないと思います。また、それではDSも教育の世界に普及していかないでしょう。任天堂は思い切って教育の分野にも進出したらどうでしょうか。あるいはDSを活用して新たな教育スタイルを提案する企業をサポートするのでもよいかもしれません。

 

 DSは非常に創造性あふれる”筆記用具”だと思います。ただし、残念ながら、学校の先生だけではこれを活用しようという動きにはならないでしょう。任天堂が音頭を取って、革新的な勉強法や試験のやり方、新たな科目、新たな授業の(「授業」というスタイルにこだわる必要もないですが)方法を提示し、推し進めていけば、日本人全体の基礎能力がワンランク洗練されるような気がします。

2007/11/23(最も豊かな村)

中国で「最も豊かな」村、全世帯が自家と車2台所有

…ロイター(世界のこぼれ話)

 

 

 《[Huaxi(中国) 22日 ロイター] 共産党政権下にある中国で、江蘇省のHuaxi村では、すべての世帯が戸建て住宅に住んで2台の車を所有、医療も教育も行き渡っているという、資本主義のユートピア(理想郷)のような生活が見られる。

 


 人口3万6000人の同村では、全世帯にそれぞれ25万ドル(約2700万円)以上の銀行預金があるという。

 


 同村には、中国全土の地方行政関係者が、その発展の秘訣(ひけつ)を探ろうと視察に訪れる》

 

 

 『ユートピア』というフレーズがある場合、そこには何かしらの作為、トリック、欺瞞があると僕は考えてます。なので、このニュースにもきっとウラがあるように思うのですが、、、

 

 江蘇省の場所

 

 江蘇省は湾岸部に面したところで、確かに発展している地域だと思います。具体的にHuaxi村はどのあたりかはわかりませんが、江蘇省全体が発展を続けていると仮定すれば、小さな村がユートピア化してもおかしくない。

 

 勝手に予想をすると、この村内に外資系の工場があるのかもしれません。中国の税制はよくわからないものの、このHuaxi村に企業が過大な税金を落としてくれているのかもしれません。

 

 あるいは、この村には何もなくても、近隣に大きな工場や企業があるのかもしれません。村人は皆そういった企業に安定雇用されて、財をなしているのかもしれません。

 

 あるいは、その村は共産党幹部の関連施設なのかもしれません。

 

 日本にだって、補助金や税金で裕福な村はまだまだあると思います。法制度のために、自治体から過大な、必要以上の分配を受けているところは、人為的ユートピアになりやすいのだと思います。Huaxi村もそのくちではないかと思うのですが。

2007/11/21(サブプライム問題)

 今朝の新聞に、同志社大学ビジネススクール教授の浜矩子さんのコラムが掲載されていた。見出しには『「サブプライム」が問題なのか』、『”真犯人”は「債権の証券化」』とあったのですが、これにはいたく同意します。 

 

 以下、コラムの要約です。

 

「サブプライム問題、と称して説明される前書きには、『米国の信用力の低い人向け住宅ローン』などとなっている。信用力の低い人に対して貸し付けるのは、金融機関にとっては危うさが伴う行為であり、それ自体に問題性があることは間違いない。

 

 しかし今回、世界の金融機関がおびえているのは、米国の低所得者に対してではない。『債権の証券化』に対してである。債権を前もって証券化し、投資家に売り飛ばす。債権者のリスクを分散する、この優れた発明は、一方でリスクの所在を見えなくさせてしまった。広く薄くリスクを分散させる手法そのものによって、今回の底の見えない余波が巻き起こっているのである」

 

 かなり言葉を変えて書いてしまいましたが、だいたいこういうことだと思います。

 

 個人的には、今回のこのサブプライムローン問題は以下のように考えます。

 

 信用余力の低い人、つまり低所得者が住宅ローンを借りること自体にまず違和感があります。貧乏人は家を買うな、とまで言うつもりはありませんが、購入した住宅の値上がり益を当てにして無理に借りた側面が多いと思われ、健全ではないという気がします。

 

 信用余力の低い人たちに融資した金融機関については、これはもう『確信犯的悪質性』を感じます。そして、それを可能にしたのが、「債権の証券化」なのでしょう。この手法がなければ、貸し倒れた債権の損失は金融機関が被ることになるし、転売するにしても購入希望者から綿密に精査されて、大幅に買い叩かれるに違いありません。

 

 別のニュースが報じていましたが、こういった証券化商品は、優良債権のそれにサブプライムローン関連のものを混ぜ合わせて組成されているそうです。つまりパッケージ化された商品は、一目ではいいのか悪いのか、どれぐらいの割合で債務者の支払いが焦げ付くのか、といった重要な情報が見えなくなっていたのではないでしょうか。

 

 「債権の証券化」のおかげで、投資家のための新たに有力な金融商品が誕生したのではない。「債権の証券化」のおかげで、リスクを、もっと言えば損失を、広く薄く分散や分担させる仕組みがまたひとつできた、ということなのだと思います。米国の住宅市場についてよく知らない日本人の(機関)投資家も購入しているわけですから。

 

 きっと、貸し付けた金融機関の中には、「こりゃ絶対貸し倒れるだろうなぁ…」と九分九厘わかっていても組んでしまったサブプライム商品が大量にあるのではないでしょうか。悪質な金融機関や業者は、カードがたくさんあるうちにババを大量に仕込んでおいたのではないでしょうか。

 

 こういうモラルハザードが、「債権の証券化」の負の側面なのでしょう。

2007/11/17(ヤクザマネー)

NHKスペシャル「ヤクザマネー~社会を蝕(むしば)む闇の資金~」

 

 

 先週のNHKスペシャルでは、新興市場を暗躍する暴力団の資金とそれに群がる人々のドキュメントが放送されていました。これがなかなか見ごたえがあり、個人的にも株式市場に対する認識を改めさせられたわけです。

 

 株はギャンブルであり、株式市場は賭場ですが、そこにヤクザが入り込むのは大問題だと思います。われわれ一般人が知らないうちにそういった反社会的勢力と接点を持ってしまうからです。歓楽街からの上がりであれば、それは容易に見分けがつく。自制心があれば、下心から、怖いお兄さんたちに囲まれたりすることもない。

 

 貯蓄から投資、というのは現時点では国策です。考えようによっては、銀行に預金するという「お金を無視するような生き方」から、投資という「射幸心をあおる生き方」に、日本人をシフトさせようというようにも見えます。

 

 株式投資という、多くの一般人にとっての慣れない所作が、暴力団の資金に流れていくことは断固として許されないと思います。

 

 上記の番組、かいつまんでいうと、

 「暴力団は共生者と呼ばれる金融ブローカーと結託して、ベンチャー企業をイカサマ賭博の場に変えてしまった。資金に困った企業家に投資することで、新興企業であれば簡単に牛耳れてしまう。賭場の胴元になった暴力団と共生者は、不正な手法で一般投資家からカネを巻き上げている。」

 

 株価は企業経営にまつわるイベントを受けて上下しますが、そのイベントを事前に察知、あるいは自在にコントロールしているのが、胴元である暴力団と共生者であります。このような賭場、つまり銘柄にお金を投じても、一般投資家は絶対に勝つことができない。

 

 上のように、短期的なトレードで勝つことは難しいが、かといって長期投資でも無理でしょう。というのも、ヤクザマネーは出入りの頻繁なもので、かつ企業を私物化する可能性が非常に高い。長いスパンで見るほど、企業がボロボロになってしまうのです。


  

 どうすればよいか、以下思いつきですが私見です。

・株取引をしない

 ⇒極論ですが、これならばヤクザマネーに巻き込まれることは皆無でしょう。


・新興企業、あるいは新興市場に投資しない

 ⇒ヤクザマネーは企業統治や管理のずさんな新興企業や新興市場に入り込んできます。また、これらの企業がヤクザマネーを頼るのは、既存の金融機関から融資が降りないからです。できるだけ第三者の目が行き届いた企業に投資するのが安全といえます。

 

・不正情報をできるだけ早いタイミングでつかむ

 ⇒経済誌である『東洋経済』や『ダイヤモンド』のヘッドラインは、速報性があり精度が高いと思います。危ない企業やインチキな商法についてのスクープ記事が多く、これらを参考に、アブナい会社にはお金を入れないことが肝要でしょう。

 

・財務諸表を読み取る

 ⇒こうやって書いたものの、現実的には難しいでしょう。プロでもだまされるわけですし。ただ、大企業が大掛かりに誤魔化したものは、会計士も見破れないですが、ベンチャー企業のそれは比較的見破りやすいはずです。監査法人が監査意見を差し控えるような場合は、内部は危険な状態なのでしょう。

 

 

 ということで、僕も株を購入していますが、今後は新興市場にはあまり注力しないでおこう、と考え方を改めたのでした。

2007/9/25(遅ればせながら、World is flat)

フラット化する世界(上)/トーマス・フリードマン
¥1,995
Amazon.co.jp

  

 最近になってこの本を読んでいます。『週刊東洋経済』2006年12月9日号で本書の存在を知ってはいましたが、本当に遅ればせながらという感じです。

 

 しかし、日本の片隅にいるとこの「フラット化」に対して現実感を持って接することがなかなかできないように思います。フラット化の影響というものを目にすることがないというか。もちろん日本における日本人の仕事にだって、コモディティ化されているものもあり、その一部は日本語の堪能な中国などに移管されているのだろうとは思います。けれども、純然たるホワイトカラーたる自分自身に、競争する覚悟というか、今現在戦っているという感覚が希薄なのです。

 

 それはおそらくこういうことだと思います。フラット化はゆっくりと進んでいるのだろうと。リプレイスには時間がかかる。日本語の壁があり、日本の商習慣があり、会計制度だってなかなかまとまらないし(かなり統合されているみたいですが、、、)ゆがんだ平面が均されてフラットな競技場になるには時間がかかるのでしょう。

 

 問題はいつきちんとフラットになるのか、ということです。今から20年後、というのであれば僕はまだ現役期間中であるはずなので困ります。もちろん、困る困ると文句をたれているのではなく、競技に参加できるように自分を磨かないといけません。

 

 いっそのこと来年にでも完全にフラット化されれば、比較的若いうちに適応期間が取れるのでまだよいのかもしれません。でも、見通しとしてはちょっとネガティブです。個人が世界中の人々と協業して新しいことを起こす環境はあっても、それを生かさない手はないんですけども、現実の自分にはちょっと厳しい。

   

 もう一つの問題は、自分の今の仕事が非常にコモディティ、つまり日用品的な代替可能なスキルしか発揮されていない点である。短絡的に資格だ、と考えても、単純に計算機能しか有しないのであれば、これまた早晩取替え可能な存在になります。スキルを伸ばすのは大事だが、置き換え可能なものにならないように、またそうなると予想されれば次のスキルを素早く身につけられるような、学習能力が必要になるのかもしれません。

 

 何度も言いますが、日本を含めて、世界のフラット化が今完成の域にあれば、その競技に参加するのはまだ容易かもしれません。でも自分が50代になった時点でそうなるというのであれば、これはシンドいなぁと打ちひしがれてしまいます。

  

 本書の上巻を読んで感じたこと。飢えた精神を携えた世界中の有能な人たちと競争する環境は、幸か不幸か日本にはまだ出来上がっていない。自分には比較的にハングリーな気持ちが少なく、これは競争するという点ではデメリットである。日本語は比較的参入障壁が高い言語であり、それに寄りかかっているだけでは行き詰る可能性が高いが、向こう十年で考えた場合はしっかり活用すべきである。否応なく世界と向き合わないといけなくなったときのために、日本文化を学んでおいたほうがよいかもしれない。

 

 本書の初版は2005年5月。僕が手に取ったのは、その増補版として2006年5月に出されたものです。それらの時点から、また新しい潮流が水面下で動いているのかもしれないと考えると、非常に不安な気持ちになります。ただ単純に焦燥感を持つのではなく、対策を考えるべきなのですが。