なぜかしら、のうた | 広里ふかさのブログ

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広里ふかさです。短歌の反響をいただくことがたまにあり、いいね!や、コメントをしたくて、アメブロを開設しました。

なぜかしら結婚していく男たち私の次にできた彼女と/広里ふかさ

(日経歌壇 穂村弘先生選 2022.3.5)



インパクトのある歌をつくってしまった・・・。

この作品については、新聞に掲載直後から、
男性も女性も、みなさんさまざまな感想を言って楽しんでくださっている。
けれど実はその中には、見知らぬまま、私に対して失礼な憶測を書き散らした方がおり、

わたしとしては悩ましく、困ったこともありました。

それ以来、この歌については黙っておこうと思っていたんですけれど。

が、今日発売された『群像』の2023年11月号、穂村弘さんの連載する
「現代短歌ノート二冊目」中の一首
に取り上げていただき
この作品にも、再び、またいくらかの光があたることかと思い、これを書いています。




作品としてさまざまに楽しむには、余計な説明は必要ないけれど、
「この作者はいったいどういう人なの・・・?」と興味をもたれる方も
今後出ていらっしゃるかもしれないので、
この機会に、私からの説明を書いておこうかと思います。


この歌を思いついたときの、私の気持ちは、
わりと、軽く、他の投稿歌を二首並べたあとで、追加に、


「そういえば、こういうことって、あるような、、、
事例は一人は確実、
もしかしたら、が二人くらい(0.5×2)はあったかもしれないくらいだけど、
音の数もアレだし、ここは言い切っちゃってみるかー、、」
 

というわけで、ひょいっと思いついた「男たち」という表現になっています。

ちなみに普段の私という女性を知っている方はご存知のように、
私は男性諸氏を、束になったとしても、そのように呼ぶことは殆どありません。
まぁせいぜい「前につきあった人たち」とか「縁のあった彼ら」くらい。
あんまり私じしんは呼ばない呼び方です。
そこに、この歌のための表現としての技巧性はあります。

 

あと、「なぜかしら」って切り出しも、さして本気で判っていないわけではなく、

「分かっちゃいるけど皮肉なものねぇ」、くらいの軽い前置きの修辞です。


この歌の感想を、私はいくつか受け取ったのですが、
けっこうな割合での 既婚者は、この歌を自虐ネタ的にとらえて

(まぁ言わなくてもいいことをわざわざいってる感はある・苦笑)、

無事結婚にこぎつけたご自分の優位性をたしかめて笑い、
似たような失恋経験のある女性は深く考察し、
また思ったより少ない感じなのですが、

既婚のかたでも今回の穂村弘さんの解説のように
「ああ、これは男女どちらの立場でもトホホな感じを含む、

何ともいえない心情になる状況だね」
と同情・共感的にイメージを拡げてくれる場合もあります。

わりと、そういうふうに反応が分かれるので、

ここで脅かすつもりはありませんが(笑)

受け手の結婚に対しての考えや恋愛観、
はたまた男女の立場の意識なんかが感想に浮き出てしまう、

踏み絵のような、リトマス試験紙のような歌です。


私じしんがこの歌からイメージを拡げて思うのは、
「運命の人に出会う前には、ダミーに出会うことがある」という、
一種の言い伝えみたいな不思議さです。

つまり、次に出会った彼女と結婚を決めていった彼らにとって、
私は「(運命の人に似たところはあるけれど違う)ダミー」の役まわり

だったのかもしれない。

こういうのは恋愛の世界には皮肉だけれどきっと一定数あることで、

男性にとっての女性であっても、女性にとっての男性であっても

きっとどこかで、こういう、私みたいにダミーの役回りをしている人とかいるんだろうか?
 

それは、精いっぱい情熱を傾けても結局は一緒になれず、
あとから見れば誘惑とか、迷いだったというだけの存在になってしまうけれど。

あと、私を気に入って、多かれ少なかれ私と接点をもつことで、考えたことがあって
離れることになった相手たちは、きっと何か、
結婚の周辺を迷ってできなかったことで得た、
結婚の決め手を、自分のなかにそれぞれ探り得たのだろう。

そういう経験を経て、

ある意味、ゴール(スタート)一歩手前まで出来上がった彼らに出会えた
次の彼女たちは、考えさせる手間が省けて、
ラッキーだったかもしれませんね。
考えようによっては。

(あくまでも私が私を癒すための空想です、これは 笑)


はっきり言って、私は譲れることはあっさり甘い顔して譲りますが、
譲れないことについては自分が納得しない限り、言いなりにはなれないし、
ついていこうにも、ついていけないところもある女です。

理性が強く、あんまり考えなくなることがない。

なので、惚れた男だからといっても

女が言うことを聞いてくれるとか思っていたら大間違い。
論理的思考力判断力の優劣に性別は関係ないです。
(もうこのへんで私がかなりめんどくさい女性の部類なのは自覚があります・笑)

でもね、結婚制度の「結婚」って、言い出すのは男性の側からって決まっていて。
女性が言い出す種類のことでもないんですよね。「応じる」、ということはあっても。
だから男の人じしんが決心して、それを叶えるだけの力量がないと、
結婚の話はどうにも形にならない。

そのへんの、現代の、社会制度的アンバランスや難しさもふくめての、
成就しなかった、だいぶ過去の恋愛(複数)から、みちびかれた歌なんだと思っています。

 

(20231211 文章をすこし手直し)