知らないから「知っている」と思っている。 | 1億稼ぐ美しい思考と美しいビジネスモデル達。 俯瞰思考と美しいビジネスの企て-集客売上アップの思考と作法

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集客テクニックや手法は何も生まない。「美しい橋」が架かっているか?美しい思考で美しい仕組みが出来ているか?日本一小さな県で、ネットを中心にプロディース業、会員制モデルなどを行っている田舎モノが儲かる、廃れないビジネスモデルや事例を語ります。

今月は献本月間なのか?!
・・・・・と思えるほど友人や関係者様から大量に本が届いています。
ありがとうございます。
と、書いている矢先にさらにもう1冊届きました(笑)

書籍繋がりで、アマゾンなどに代表される「書評」。
個人でも勝手にレビューを書き込みできるワケですが、面白いですねあれ。


何と言いますか。。
中にはびっくりするくらい「批判」しか書いていない人もいますし。
もはや書評でもレビューでも無い、愚痴にしか聞こえないものが結構あるので面白いです。



「知っているコトばかりで、あまり役に立ちませんでした」
「すでにどっかで書いてあるコトばかりで、☆一つです」
「何も目新しい事は書いていなかった」
「当たり前の事しか話していなかった」




大事なのは情報を知識とし、知恵とするコトであり、
行動し、どう活用するか?が重要なワケですね。

批評批判は子供でも出来る行動です。
というコトで・・・このメッセージを送ります。


批評家の言うことなどに耳を傾けるな。批評家の功労を
称えて銅像が建てられたことなどないのだから。
            -ジャン・シベリウス-



批判する人と批判される人。
どちらが魅力ある人なのでしょ。間違いなく後者です。
批判されるという意味は、その人の「行動」の証でもあり、動いた行動した「結果」です。

動きもせずに、安全地帯で「わーわー」言っている人って・・・・・
完全真逆の世界にいるので、あちら側の世界の人は「批判やクレーム」で一生を終えるのでしょう。
悲しいですね、それって。
人生いろいろ。





と、軽い前フリは終わって本題へ。



今日は珍しく鳥取で昼に行われていた某社の公的資金、補助金活用セミナーにお客さんに同伴し、潜入してみました。いやあ、凄い。
平日なのに40名くらい参加してます。
「平日の方が経営者は集まりやすい」という現実が分かりました(笑)

またドコからこのセミナーを知ったのか?が謎だったので、その辺りも参加していた人6名くらいに聞いてみました。
●ドコのリストを活用したのか?
●どんな人にどんなリストでアナウンスしたか?

・・・これは非常に興味深いし、重要ですからね。
おかげでドコの団体から市内経営者のデータが流出したっぽいかも把握。
なるほど。そういう意味でも勉強になりました。

で、セミナーですが「助成金、補助金」の活用術的なモノでした。
そのフック(入口)として無料セミナー、相談会を開催というモノ。
僕は「融資」とか「補助金」については知っていると思っていました。
でもそれは「知らないから知っている」という事に気づかされました。
奥が深すぎですね、補助金や助成金の仕組みって。


-twitterのツブヤキより引用-

自分が知っていると思っていることは,
大抵の場合「知らないことを知らない」から「知っている」と思ってしまっている。
「それは知っています!」って言う人に限って、本当は知らない・知っていないのだ。
知らない⇒知る⇒やる⇒知らない⇒知る・・・ビジネスも人生もこの繰り返しだ!




オサマ・ビンラディンの行方について以前にラムズフェルド国防長官がこう言っていた。
いやあ・・・哲学的だな。かなり深い。


知っているだろう

我々が知っている既知の事実がある
知っていることを知っていることだ

知っているだろう

我々が知らない未知の事実もある
知らないことを知っていることだ



だが、存在さえ知らない未知の事実もある

知らないことさえ知らないことだ




・・・・考えれば考えるほど、嵌りますね。
ちなみに「未知と既知」。
僕はこう解釈しています。




未知はしばらくすると既知に変わってしまう。
「飽きる、継続できない、維持できない」の原因が既知だ。
知ると「全てを悟った」と勘違いし、次第に飽きてしまう。

逆説的に言えば常に「未知」に触れることで感情は起伏する。
「未知」を探ろう見つけよう探ろうとするコト。

そして「既知」の中にある「未知」を詠もう知ろうとすること探すコト。
つまり「知っている」と思っているだけで、未だ知らない事を知ろうとするコト。


これが「学ぶ」意味であり、成長する為に必要なコトかもしれない。





「既知の中の未知に気づき認識すること」
「未知を知ろうとすること」


これが大切かも知れない。


「オレハ、SEOワカッテルゼ!」
「オレハ、コノジャンルデ、シラナイコトハナイゼ!」




それは既知の中にある未知に気づいていないだけ。

「知らない」というコトに気づいていないから「知っている」と言っているに過ぎない。




うーん。なんかまとまりのない文章になったが、実は非常に重要なコトだ。