ついさっき(19時くらいに)、丸井の入り口の前を通ったら、
10代らしき少女たちが警察官の職務質問を受けていた。
そして、警察官が「君、いくつなんだね?」と聞くと、
少女は「アハハ、50歳~、アハハハ♪」と言った。
僕はこの瞬間、ものすごくイラッとして、「ぶん殴りたい!」という衝動に駆られてしまった。
丸井に迷惑をかけ、警察官にもふざけた応対をするこの少女を、
腕力を使えない立場の警察官に替わってぶん殴っても
そんなに罪に問われないのではないか!?と思ってしまったのである。
しかし、ここは警察官に任せて、
怒りを噛み殺しながら素通りする。
~~~
そして、今、21時。
あの少女のことを再び考えると、
「あの少女もかわいそうだな」
という考え方に変わる。
あの少女は家に帰れない事情があるのかもしれない。
不良仲間であっても、周りにいた他の少女たちが唯一の理解者なのかもしれない。
そういう少女の環境や事情は
外部からは想像ができない部分である。
そして、そこに職務質問をされる。
それは社会という猫が、少女という鼠を追い込む瞬間である。
窮鼠は猫を噛む。
だから警察官に食ってかかるのである。
女性は本来かわいらしく生き、
男性に可愛がられて輝く存在である。
少女は既にそういう生き方から外れてしまっている。
そういう意味でもう既に罰を受けてしまっているのである。
ここまで考えると、
自分が少女にするべきことは
決して殴るなんてことではなく、
少女の理解者になることであることに気づく。
今、家路について思うことは、
こういう思考の整理を積み重ねていくことは非常に大事だということ。
そして、いつかは瞬時に正しい思考・判断ができる、
そういう人物にならなければならない、ということである。