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「鈴懸」



旧稱 龍蔵大権現社

御祭神 龍蔵大神 天御柱命 国御柱命
境内社 稲荷社 徳生大権現

由緒沿革 

 目久尻川改修に伴い昭和五十九年三月三十日現在地(栗原3432-6)に移転し御遷宮し奉る
 創立年代は不詳であるが、龍蔵大権現社と稱して巡礼坂上に その後双葉団地へ登る坂の中段(栗原4083番地)に 安置されていた
 享保十五年戌十一月十四日付 龍蔵大権現社に関わる古文書があり また新編相模国風土記稿には「元文三年再建の棟札 あり 鐘楼 天明七年鑄造の鐘を掛ける」と記されてある
 明治六年 栗原神社に合祀されたが 明治三十三年当地に疫病が流行したとき 稲荷社 徳生大権現 の祀ってあった栗原下谷3422番地に御遷座された
 長い歳月郷土の守護神として篤く崇敬し奉ってきた神社であるので「龍蔵神社」と改稱し現在地に新築稲荷社 徳生大権現 ともども再建 御遷宮し奉る
  昭和五十九年五月吉日
龍蔵神社氏子一同





より

○明治32年ペスト、国内で初の大流行、防疫で北里、野口、緒方3博士が成果(110年前)[復刻]
 1899年(明治32年)11月~1901年(明治34年)6月
 14世紀ヨーロッパで大流行し“黒死病”と呼ばれて恐れられ、全人口の3分の1から2が死亡したと伝えられている“ペスト”が、この年以降、約1年半の間、国内で初めて大流行した。
 わが国における最初のペスト患者の初見は、1896年(明治29年)3月、横浜に入港したイギリス船ゲーリックの中国人乗客で、当時流行していた香港で感染し航海中発症、横浜港に入港後、翌日、同国人の紹介で清国人病院へ入院2日後死亡した。幸にもそこから市内へは侵入しなかったが、翌97年(同30年)7月、ペスト流行地の台湾を出港し横浜に入港した東洋丸でペストで死亡した死体を発見、更に同船が消毒停泊中ペスト患者1人が発生し死亡しており、「法定伝染病統計」に記録されている。
 ペスト患者を初見した96年(同29年)より2年前の94年(同27年)当時、ペストが清国(現・中国)南部広東省で大流行し、隣接する香港へ侵入していた。幕末から明治へかけてコレラの大流行を体験した明治政府は、同じ轍を踏むまいと、同年5月25日、勅令(天皇の命令)第56号で「清国及び香港に於いて目下流行する伝染病(感染症)「ペスト」予防のため必要と認むるときは、明治十五年布告第三十一号虎列刺(コレラ)病流行地方より来る船舶検査規則を適用して船舶検疫を施行することを得」とし、翌26日官報で公布、水際での防除作戦を行った。
 また翌6月には疫学調査団を香港に派遣した。現地へ到着した調査団は早速、病理学上、臨床上、ばい菌(人体に有害な細菌)学上の3項目について研究を始め、ばい菌学上の調査・研究を担当した北里柴三郎が、ついにペスト菌を発見するという成果を収めたが、調査団長と団員1名及び助手を務めた現地在住の日本人医師がペストにかかりその医師が死亡するという過酷な調査だった。
 その後、98年(同31年)は感染者は出なかったが、その翌年のこの年、ペストが横浜、神戸に押し寄せた。6月、横浜では、当時横浜港の検疫所に勤務していた野口英世が、香港を出港し横浜港に入港した、亜米利加丸船内で、検疫によりペスト患者2人を発見、ただちに船内隔離し、患者は回復したので、横浜からの侵入を未然に防いだ。
 しかし11月8日、神戸港に入港した船員からの感染により、同市葺合区(現・中央区東部)で初めて日本人の患者が発見され、その感染源として、同港に陸揚げされた流行地インドからの積荷、特に綿花や穀類に疑いがもたれた。そこで内務省は、10日後の18日、清国、インドからのぼろ布や古綿の輸入を禁じた。同市ではその2日後の20日、ペスト菌に感染したネズミを発見し、葺合区や神戸区(現・中央区)など海岸沿いの地区で、翌年10月までに散発的に患者が発生した。
 この内務省が輸入を禁じたその日、大阪市で最初の患者が発見された。実は患者がよく行く家の横に屑綿倉庫があり、12月2日にはペスト菌を持ったネズミの死骸も発見された。同市では輸入綿花取扱業者の近くで初期の患者が多発、当初は西区、翌1900年(同33年)9月以降は南区(現・中央区南部)に拡大、医師3名が犠牲になっている。
 流行はこのように関西で11月に発生、1年半後の1901年(同34年)6月まで続いたが、患者が出たのは山梨、静岡両県から西の9府県で、234人が発症し201人が死亡、死亡率86%と猛威を振るった。
 実はこの流行が始まった3年前の96年(同29年)、ペストの流行は香港から台湾へと広がっていた。当時、帝国大学医科大学の衛生学教授であった緒方正規も、横浜港でペスト患者が初見されたこともあり、台湾へ調査団の一員として派遣されていたが、現地でペスト菌に感染したネズミにたかっているノミが媒介して人に感染することを発見した。
 東京市ではそれを受け、関西で大流行中の1900年(同33年)から、予防のためネズミを1匹5銭で買い上げ、その結果、患者を一人も出さないという成果を上げている。
 (出典:春日忠善著「日本のペスト流行史>第五章 日本国内に於けるペスト流行の概況 33頁~39頁:第1節 神戸、大阪を中心とした流行」、同章>第4節 予防、防疫上とられた措置>日本の海港検疫 48頁」、内務省衛生局編「法定伝染病統計・大正十三年 22頁~23頁:第十二表 「ペスト月別累年比較」、神奈川県警察部編「神奈川県ペスト流行史>横浜市「ペスト」流行記事>第一章 第二項 市内流行の概説及び其の病系>横浜市「ペスト」流行前記 30頁~31頁」、同書>第七章 諸表編>過去十三年世界各港船舶に流行せる「ペスト」病の状況(其の一) 654頁:三十二年 亜米利加丸 六月」、「勅令第56号・清国及香港に於いて流行する伝染病に対し船舶検疫施行の件」、横浜市長浜ホール編「野口英世博士ゆかりの旧細菌検査室>野口英世と横浜検疫所」、新修大阪市史編纂委員会編「新修大阪市史 第6巻>第四章 社会生活と文化の諸相>第三節 市民生活の諸相>2 大災害の発生>ペストの流行 808頁」、竹田美文著「明治・大正・昭和の細菌学者達3>北里柴三郎-その2>Ⅱ.ペスト菌発見、Ⅲ.明治27年7月31日官報」、野村茂著「北里柴三郎と緒方正規>ペスト菌-北里菌かエルザン菌か 108頁~109頁」。参照:2007年5月の周年災害「緒方正規、ペスト媒介のノミ発見」)