なぜに 今
和多志自身の言の葉で
書き標し 始めようと 想ったのか
それは
567弥勒 のおかげさまで
自分の言葉で 発振する時間を
楽しませていただける 流れと
少なくとも わたしと
根源セミナーで
繋がっていた (いる) 人たちには、すでに
今この瞬間を
どう生き貫いたら好いのか
を
学び愛していただけていることに、
氣づかせていただけているから。
あんなにも早くに
わたしの閃きを 叶えていただけたこと
ずっと逢いたいと観じていた人と
ご一緒出来たこと
そんなご褒美をいただけていたのも
あんなにも 苦しく
あんなにも もがいても
"わたしは和多志を 知っているから"
在るがままの自分から、
逃げ出したりはしなかったから。