瑠璃を以て地とし、金の縄を以て八の道を界へり。 | みらくる☆彡

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つづき

アルザルは大気プラズマによって常に光り輝く世界で、月内部も人工プラズマの照明で常時明るい状態だが、須弥山の場所がどちらでもないとすれば、やはり太陽なのか。

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聖書外典の「パウロ書」「バルク書」「エノク書」にも、「新エルサレム」らしき記述がある。
長くなるのでストーリーは省略するが、エノクやバルクは「第一の天から第七の天」までを、飛ぶ鳥のように旅行している。
これは、「法華経」の須弥山の九山八海の外洋を除いた「七山七海(仏教の七金山)」と符合する。
また、「ヨハネの黙示録」の「七つの黄金の燭台」と「七つの星」にも符合する。

そして、ヨハネはこのようなビジョンを視ている。

「七つの黄金の燭台の中央に、長い衣をまとった白髪で牙のある貴人が七つの星を持って立っていて、その貴人は強く輝く太陽のようだった」

言うまでもなく、強く輝く太陽のような貴人は「イエス・キリスト」を指しているが、その姿はまさに、「サナト・クマーラ」である。
サナト・クマーラは、「金星の王子」と呼ばれた「シャンバラの帝王」である。
須弥山は、金星にあるのだろうか。
須弥山は元々、エノクが地球上で築いた街である。
それが飛翔して、月や金星に行った事があってもおかしくはない。
だが、エノクが昇天して向かった先は、炎が渦巻くケルビムの世界(太陽)である。

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また、新エルサレムの光源である「子羊」はイエス・キリストの象徴。
イエスは、「わたしは世の光である」と名乗っている。
だが、いくら強力なオーラを発していたとしても、実際にイエスが世界を照らす光源とは考えられない。
これは、比喩であり、象徴である。
イエスは太陽神の受肉であり、「世の光」とは太陽を意味する。
それ故、イエスを指す「貴人」も「太陽のような」という表現がされている。

つまり、新エルサレム(須弥山)の光源は、太陽なのだ。
だが、「そこには夜がない」という事は、太陽系の惑星ではない。
また、「その都は太陽や月が照らす必要がない」という事は、天空に太陽や月が見えないと解釈できる。
つまり、新エルサレム(須弥山)の所在地は、太陽そのものなのだ。

太陽なら、超弩級大陸「ナタン」も超弩級大洋「ダーマ」も存在し、都城の材料である金銀も豊富に存在する。
何よりも、階段ピラミッドである須弥山の都城は、雲の上に浮いているのである。
太陽プラズマ大気圏を飛翔する超巨大階段ピラミッドの存在が確認されている今、新エルサレム(須弥山)が太陽上空に存在するのは間違いないだろう。

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釈迦族は「日種」と名乗り、日蓮にも「日」が付いている。
そして両者共に、末法の時代に、アマテラス国家である日本に、救世主が現れることを予言している。
日蓮は『日蓮全集』の中で、次のように述べている。

「最終臨終(この世の終末)を持って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登って四方をきっと見るならば、あら面白や、法界寂光土にして、瑠璃を以て地とし、金の縄を以て八の道を界へり。
諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽快楽楽し給うぞや。
遊戯し楽しむべきことは近づけり」


これは、「ヨハネの黙示録」が予言する、世界の滅亡と共に天から降臨する「新エルサレム」以外の何物でもない。









失意 失望で、終わるのか。

それとも


有用 有益に、活かすのか。