エドガーケイシー
と呼ばれている 存在 と
自然必然と チャネル が合わさりました今朝
エドガーケイシーのキリストの秘密を最近読んでいます。
エドガーケイシーは透視能力者でありアカシックコード(宇宙が存在して以来の魂の軌跡を記録したもの)に同調するこが可能だった。
その魂の記録をもとに相談者の過去生を透視し、彼らが過去生で培った才能や長所を教えたり、過去生での過ちや弱点を克服するためのアドバイスを与えるようになった。
そして、55才の時にイエスキリストのアカシックコードに触れたという。

その中で、イエス様と母親であるマリア様は魂の上では双子の魂(ツインソウル)であったという。
まるで、
自分の物語が書かれているかのように
体感しておりました。
この記事をわたしが観た後も、
話し続けていました。
その 周波数 に身を委ねておりましたら
下記の記事に辿り着きました。
阿羅波婆枳 と呼ばれている存在 が
小野妹子 と呼ばれてきた 存在 とは
「 本当は何者で在るのか 」
を表に、愛の光の下に 顕してほしいと
伝えてきているように、観じております。
【聖徳太子双子説】
聖徳太子の別名は【厩戸皇子(うまやどのおうじ)】です。
そして、馬小屋で生まれた皇子( みこ)は【イエスキリスト】です。
そもそも家柄の良い聖徳太子がなぜ馬小屋で生まれるのか?
恐らく【双子だったから、隠密に産んだ】のではないでしょうか?
昔は、双子は縁起が悪いと言われていました。
昔は双子が生まれると、一人をどこかへ養子に出してしまったり。
そのままこっそりと一人を殺してしまったり、寺に預けたりして、その過去を抹消する事が多いので記録に残らない事が多々することもあったそうです。
まず聖徳太子のお写真をご覧頂くと、一般的な聖徳太子と言われるお姿には、何やらいつも双子らしき子供達が寄り添っていることに気付きます。
更に子供の頃の聖徳太子の肖像画や像と比較してみても、どうやらソックリです。
『やはり聖徳太子は、双子なのではないのか?』
未来を預言出来る聖徳太子は、生前に自分の墓を準備しています。
それは【二子塚古墳】と言います。
【聖徳太子の妃の整理】
・推古天皇の娘の大姫
・推古天皇孫娘の橘女王
・蘇我馬子の娘
では三人の妃のうち誰が【双子の近親婚の妻】なのでしょうか?
私が考えでは、臭いのは【蘇我馬子の娘】です!
推古天皇は、当時19際の聖徳太子を摂政につけ、更に自分の娘を嫁がせました。
そして聖徳太子は【摂政の地位+推古天皇の義理の息子】となりました。
その際に何故か推古天皇は【自分の即位に尽力した蘇我馬子を朝廷の大実力者】にしています。
一説には【聖徳太子=蘇我入鹿】という説がありますので、やはり聖徳太子の双子の妹子である【己の妹子(おののいもこ)】は、蘇我馬子娘だったのではないでしょうか。
一般的には【小野妹子は男性】と語り継がれています。
普通に考えてみましても【妹子(いもこ)=近親婚の妻】などという名前を男性の名前に付けるなんて、おかしな話です。
例えば【妻】とか【妹】という名前の男性だということになります。
もう一つ変だなって思ったことは【小野妹子→おののいもこ】と読んでいますが【の】が一文字多いですよね?
もし【伊藤妻(男)】という漢字の外交官がいたとして、この読み仮名にも同じように【の】を付け加えると、【いとうのつま】となります。
【己(おの)】=自分
【妹子(いもこ)】=兄弟姉妹婚の妻
【妹(いも)】=恋人、妻
【我妹子(わぎもこ)】=兄弟姉妹婚
おののいもこ=己の妹子=自分の妻(兄弟姉妹婚)
これは古代において【兄弟姉妹婚】が広く行われており、一般的な妻や恋人と兄弟姉妹婚の呼び方があったようです。
ですから【己(おの)の妹子】というように【己(おの)=自分】の【妹子(いもこ)=兄弟姉妹婚】となる。
【小野妹子】が一人称であれば【おのいもこ】です。
【おのいもこ】が【己(おの)と妹子(いもこ)】の二人称をつなげた一つの文章であれば、おのといもこの間に【の】が必要です。
しかも【苗字】を使うようになったのは明治時代頃じゃなかったですか?
『この歴史偽装、無理矢理すぎますねっ!』
このように遣隋使の外交官は【自分の妻です】と聖徳太子は公の国書に記したと思われます。
推古天皇は、わざわざ自分の即位や地位を守る為に、蘇我馬子から【厩戸皇子(うまやどのおうじ)=聖徳太子(偽名)=蘇我入鹿】を自分の兄弟の養子にしていたのかもしれません。
そして自分の娘を嫁がせて聖徳太子を摂政の地位を与えたのに、手のひら返しで【己の妹子=双子の近親婚の妻】と公の国書に記し反旗を翻したのではないでしょうか。
そのような事実を隠蔽する為かもしれませんが、小野妹子は、先方の王から預かった国書を盗まれているのです。
そりゃ、推古天皇は怒ったでしょうね、、、、、。
推古天皇は日本初の【女性天皇】だったと言うのが通説ですが、中国側の遣隋使関連の文献には、その際は【男の王】だったと記されているそうです。
この流れで推測すると遣隋使を派遣した際の天皇は推古天皇ではなく聖徳太子だったのではないのか?
しかし聖徳太子は、『自分は蘇我馬子の子供で双子の妻が遣隋使として外交を行なった』と、わざわざ国書に記したということであれば。
もう名前もろとも、無かったことにされてもおかしくはないでしょう。
それとは別に聖徳太子には霊力がありました。
聖徳太子は【未来記】という預言書も書いています。
霊力は遺伝しますので恐らく双子の妹子も相当なものだったと考えられます。
小野妹子が女ながらに外交を行い。
霊力が高く。
男の王を支えた存在だったとすれば。
『それは卑弥呼だったのかもしれません』
私に啓示の主は、私の身体の中に潜む【卑弥呼=マグダラのマリア】の説明をする際に。
同等に【イエスキリスト=聖徳太子】の名前を挟み込みながら啓示の主は話したのです。
私の説明に挟み込むような説明の仕方でしたので、一瞬『自分は女だが、前世で男だったこともあるのかな?』などと少し混乱してしまったのですが。
その日から一年経過しましたが、調べを進めるうち、啓示の主が、なぜ絡ませるように男の人物と女の人物について話したかが分かったのです。
それは【双子=ツインソウル】を表していたようです。
その大元は【イナンナとウツ】というアヌンナキの双子の宇宙人が転生を繰り返しているということのようです。
ですから、聖徳太子には【己の妹子=兄弟姉妹婚】というパートナーがいて、自分が死ぬことを予見した聖徳太子は死ぬ前に【二子塚古墳】を作ったのかもしれません。
【己の妹子=双子の妻】は、きっと聖徳太子と同じように霊力が高く、女ながらに外交を行う卑弥呼のような女性だと想像出来ます。
聖徳太子は、大和朝廷で摂政の役職にありました。
詳細な卑弥呼の年代も日本の史書から抹殺されており、探ることは出来ませんが。
しかし私の中の魂は、啓示の後確かに【大和が奪われた!私は大和の民を救わなければならない!】と、私が考えたこともない言葉を発したのです。
そして聖徳太子は大和朝廷で摂政の役職であり、豪族・蘇我馬子とともに、天皇中心の新しい国づくりに取り組んでいました。
とすれば、その時代に私の中の魂は生きていたことになり。
そして、その魂が卑弥呼の可能性が高ければ、恐らく聖徳太子の【己の妹子=卑弥呼】という可能性が強くなります。
ちなみに私は憲法記念日である5月3日が誕生日なのですが、啓示の主曰く『この数字は聖徳太子を現す』と話していました。
やっぱり、私の中の卑弥呼と聖徳太子は何か関係があるように感じます。
【己(おの)の妹子(いもこ)=自分の妻は兄弟姉妹婚】
さぁ、聖徳太子の妹子は4人の妃のうち誰なのでしょうか?