翌安康天皇二年(455)正月、
中蒂姫皇女は大后(皇后)に立てられた。
安康天皇には皇子女はいなかった。
つまり、継子ではあるが、
眉輪王にも皇位の可能性が見えてきたのである。
安康天皇は中蒂姫皇女を寵愛(ちょうあい)していた。
実子のない安康天皇にとって、
愛する女の息子は、
真の我が子同然であった。
また、安康天皇は、
妻の兄・市辺押磐皇子(いちのべのおしはのおうじ)とも懇意にしていた。
いずれは彼に皇位をとも考えていたようである。
「後継者はオレではないのか」
大泊瀬皇子は危機を感じたであろう。
「ここままではまずい」
そして、よからぬことを考えたかもしれない。
安康天皇三年(456)八月、
安康天皇は神を祭った後、
楼閣に上り、酒を飲み、
中蒂姫皇女のひざ枕で横になった。
「朕(ちん)は幸せだ」
安康天皇はネコのようにほおをすり寄せて丸くなった。
何も言わない妻の顔を見上げて問うた。
「なんじは幸せか?」
「幸せですとも」
中蒂姫皇女の言葉に、
安康天皇は安心して目を閉じた。
そして、語った。
「朕には気がかりなことがある。
眉輪のことだ。
あいつが成長して、
自分の父が朕に殺されたことを知ったら、
どう思うであろうか?
朕は、あいつが怖い」
眉輪王はそのとき、
楼閣の下で遊んでいた。
つまり、
話をすべて聞いてしまったのである。
(お継父(とう)さんがお父さんを殺した!)
衝撃だったであろう。
鞠(まり)で遊んでいたのであれば、
鞠を転がし落としたに違いない。
安康天皇は静かになった。
中蒂姫皇女のひざの上で、
すっかり眠ってしまった。
中蒂姫皇女はどう思ったであろうか?
かつて愛する夫を殺し、
強引に自分を奪った男が、
自分のひざの上で無防備な姿をさらけ出しているのである。
(今なら、この人を殺すことができる……)
そうは思わなかったであろうか?
楼閣の下では、
眉輪王が呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていた。
そのとき、眉輪王に声をかけた青年がいた。
「御子、どうしたんですか?」
「僕のお父さんは、お継父さんに殺されたの?」
青年は驚いたが、否定しなかった。
「そうだよ」
そして、さらに続けた。
「御子の父、大草香皇子は何も悪いことをしていなかった。
それなのに、大王に殺されたんだ。
大王は悪い人なんだ。ワルなんだ」
眉輪王は泣きそうになった。
「そんな悪い人のことを、
僕は今までお継父さんお継父さんって呼んでいたんだ……」
青年が声を潜めてなだめた。
「もう、
そんなふうに呼ばなくったって、いいんだよ」
そして、
眉輪王にギラリと剣を抜いて手渡した。
「悪い人は今、酔っ払って眠っている。
お母さんが捕まえていてくれる。
御子はこれで悪い人を退治するんだよ。
大丈夫。オレも味方だから」
眉輪王は青年とともに楼閣に登った。
そして、惨劇は行われた。
「何をする!」
刺されて安康天皇は目覚めた。
そして、
自分を取り巻く見知った人々を見て、
声を失った。
「どうしたんだ、お前たち……」
安康天皇の目はすぐにまた閉じられた。
起こしても起きない、深い深い眠りについた。
彼の味方は、
周囲に誰一人いなかったのである。
享年は五十六と伝えられているが、
もう少し若かったと思われる。
青年はみんなに言いふらした。
「眉輪王が父の敵を討った!」
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