『 姉妹 』 | みらくる☆彡

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ミスズヨリヒメ
  

(五十鈴依媛命)。

カヌナカワミミの内宮。
タマテミ (第3代 安寧天皇) の母。 

ホツマでは『ヰススヨリヒメ』ではなく
『ミススヨリヒメ』とある。

『ヰ』と『ミ』のヲシテは似ているので、
はじめは誤写かと思ったが、
2箇所に現れる2箇所とも『ミ』なので、
誤写ではなさそうだ。

また綏靖天皇の内宮にもかかわらず、
ホツマにはこの姫の出自についての説明はなく、謎の姫である。
  

島根県八束郡美保関町大字美保関、
美保 (ミホ) 神社。

茨城県北茨城市大津町字宮平、
佐波波地祇 (サハハクニツカミ) 神社。

徳島県阿波郡市場町伊月字宮の本、
事代主 (コトシロヌシ) 神社。

兵庫県朝来市和田山町宮、
刀我石部 (トガイシベ) 神社。
  

★『書紀・旧事』五十鈴依媛、
コトシロヌシの娘となっている。
つまりツミハとタマクシ姫の次女。
クシミカタマ・クシナシ・タタラヰソスズ姫の。 

■欠史八代といわれる時代は、
皇の后は大和の県主の娘や孫を娶っているが、
入れる局まで踏襲されている
(例えば磯城県主はスケ、春日県主はココタエ)。
内宮については、
オオヤマトヒコスキトモがイキシの娘を娶って以降は変わってくるが、
神武から安寧天皇までは、
クシミカタマの子孫が内宮に立てられていたと考えられる。
よってミスズヨリ姫は、
クシミカタマかクシネのと推定する。

  

             ┌オオタ────────────────ミラ姫
             │                    ┃
             ├ミシマ─タマクシ姫 ┌クシミカタマ──┐┃……アウヱモロ
             │     ┃────┼クシナシ    │┃
             ├────ツミハ   └タタラヰソスズ姫│┃─アタツクシネ
クシヒコ─コモリ     │                   │┃
      ┃──────┴カンタチ               │┃……ミスズヨリ姫
スヱツミ─イクタマヨリ姫   ┃────フキネ    (養子)┌──┘┃
               ┃     ┃        ↓   ┃
      フナツ─────フトミミ   ┃────────クシミカタマ
                     ┃
              サシクニ──ワカメ
*アウヱモロとミスズヨリ姫をアタツクシネと兄弟としている部分は推定。
  
  
カンヤマトイハワレヒコ──┐
             ├カヌナカワミミ
タタラヰソスズ姫─────┘  ┃
                ┃
                ┃
  ??───────────ミスズヨリ姫(内宮)───────────(2)タマテ
                ┃                 (安寧天皇)
シギ県主クロハヤ──────カワマタ姫(大スケ)
                ┃
タケチ県主クシネ──??───アダオリ姫(スケ)
                ┃
カスガ県主アウヱモロ────イトオリ姫(ココタエ→スケ)───────(1)イキシ
                ┃
カダキ国造ツルギネ────┬カツラ姫(内后)
             │  ┃
             └カツラヨリ姫(下后)
                ┃
アメトミ──────────キサ姫(下后)
 

『ミスズヨリ姫 内つ宮 磯城クロハヤが カワマタ姫 大スケ后 アダが孫 アダオリ姫は スケ后』31文

『サヤト 九月十五日 后 生む  斎名 シギヒト タマデ御子』31文

『昔 菊の 花見とて ミスズヨリ姫 カワマタ姫 磯城クロハヤが 館に行き 御子 生まんとし 三日 病める』31文

『時 夫婦 来て これを請ふ 君に申して タマテヒコ 抱え 取り上げ 易く生む』31文

『磯城が家 朝日 輝けば "タマテ" が御名を 進め言う 姓を問えば 男はコモリ 女はカツテヒコ』31文

『賜ふ名は "若宮の主" "守の臣" コモリ・カツテの 二神を 吉野に祭り』31文

『母を上げ 御上后と 慣れ御名も 斎名もそれぞ 十月十日 骸 送る 桃花烏田丘』31文