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* http://www1.plala.or.jp/eiji/kukaidensetu.htmより抜粋、転載*



32. 多摩の二度栗

昔、武州多摩郡の山の根の村には、
たいそうできのよい大型の栗がたくさん取れたそうだ。

ある秋のこと、
腹をすかせた旅の乞食坊主が、
ふらふらとやってきておいしそうに栗を食い散らかしている村の子供たちに
「栗を一粒めぐんでくれ」とたのんだそうだ。

子供たちはそのみすぼらしい乞食坊主をみて
「いいとも食え」といって空の食い残しの殻をほおったそうだ。

その乞食坊主は悲しい顔をして次に村の中にある大きなお屋敷にきたそうだ。

そこでは大人たちが縁側に腰掛けて栗を食べていたそうだ。

乞食坊主は大人達に声をかけて
「栗をひとつめぐんでくれ」といったが、
大人たちは「いいとも食え」といって空の食い残しの殻を投げつけたそうだ。

乞食坊主はたいそう悲しい顔をして村の外れにあるそれは見るからに貧しい小屋にやってきたそうだ。

小屋には17才ほどの若者を頭に弟妹が4人住んでいたそうだ。

父母はとうに死んでこの若者がみんなを養っていたようだ。

そこにこの乞食坊主がやってきた。

この坊主はもう空腹で目もみえなくなっていたそうだ。

「どうか栗を一粒でもいいからめぐんでくれ」と頼んだそうだが、
この小屋にとっては一粒が一家の全部の栗だった。

しかし見ればかわいそうに飢えやつれた坊様である。

若者は弟妹に「いいな」と見まわした。

弟妹は兄の心の優しさに気持ちよく応えた。

「たった一粒ですがどうぞ食べてください」
乞食坊主はたいそう喜んでこれを食べたそうだ。

するとどうだろう。 
とたんに乞食坊主は元気になり、
「ありがとう、みんなの優しい心が天に通じ、裏山に天の恵みをうけることだろう」
と言い残し達者な足取りで村を出ていったそうだ。

その後、不思議なことに、
若者の裏山の栗林には、大型で美味な栗が、
春と秋の二度なったそうだ。

村人はこれを多摩の二度栗と呼んで大切に扱ったという。

若者達はそれから幸せな生活を送ったという。

この乞食坊主が実は弘法大師だったのです。  

33. 飯盛杉(箸立杉)

昭和39年に都の天延記念物に指定された樹齢700年の杉の大木は、
薬王院の門前の茶屋を左の方に下ったところにあります。

弘法大師が高尾の参道を登ってこられると、
杉の木達は枝を震わせたり、
葉を鳴らしたりして騒ぎはじめた。

ところが途中の並木の1本が枯れ木となっていたのです。

弘法大師は傍らの杉の木にたずねたところ、
この間の落雷に打たれてしまったとのこと
「千年を共にし弘法大師様のおこしを待っていたのですが非常に哀れです」
と別の杉が言ったところ、
弘法大師は、
1枚の飯盛りの杓子を取り出すと、
枯れ木の跡に突き立てた。

するとあれよあれよと見る間に、
ぐんぐん杉の木が伸びはじめ、
枯れ木がよみがえって見事な千年杉となりました。                    

34. 岩屋大師

弘法大師が高尾山にやってきたところ折からの雨が、
嵐と変わり、
大師に容赦なく襲いかかってきました。

ともかく山を下り始めたもののこのままでは体が冷え切ってしまいます。

岸壁ばかりの小道を行くと大岩の影に、
ずぶぬれの姿でうづくまってい母子がいました。

気の毒にと近づいてみると母の方は病気でその子でもが懸命に介抱しているではありませんか。

なんとかこの子のために雨宿りが欲しいものよと大師が合掌すると、
突然、目の前の岩屋が音を立てて崩れ始め、
ぽっかりと洞穴があいてしまったのです。

大師はそこで母子の冷えた体を温め、
嵐の通り過ぎるのを待ったということです。

岩屋の中は外の嵐から完全に遮断されて暖かく、
見る間にこの母は回復していったということです。

この洞穴は、
「岩屋大師」と呼ばれる様になったと言う事です。



「 まおちゃん音譜

好っきやわぁ~ラブラブ(≧▽≦)ラブラブ