1963年、地元のコミュニティカレッジを卒業したスライ・ストーンは、サンフランシスコのラジオ局でDJとして働く一方で、モジョ・メンや、ビリー・プレストン、グレイト・ソサエティ(後のジェファーソン・エアプレイン)等のレコード・プロデュースに携わります。

中でも、彼が手掛けたボビー・フリーマンの「カモン・アンド・スウィム」は全米5位を記録する大ヒットとなって才能の片鱗を見せますが、彼自身がリリースした数枚のソロ・シングルは、ヒットを飛ばすには至りませんでした。

1966年、彼は、高校時代の友人のシンシア・ロビンソン等と共に‘スライ&ザ・ストーナーズ’を結成すると、時期を同じくして、弟のフレディが‘フレディ&ザ・ストーン・ソウルズ’を結成して、翌年、メンバーのジェリー・マルティーニの呼びかけに応え、2つのバンドは合体するのでした。

そんなわけで、今日の一枚はこちら↓
M1:ハイアー
M2:エヴリバディ・イズ・ア・スター
M3:スタンド!
M4:ライフ
M5:ファン
M6:ユー・キャン・メイク・イット・イフ・ユー・トライ
M7:ダンス・トゥ・ザ・ミュージック
M8:エヴリデイ・ピープル
M9:ホット・ファン・イズ・ザ・サマータイム
M10:マ・レディー
M11:シング・ア・シンプル・ソング
M12:サンキュー

1970年に発表された、全米2位を記録した彼等にとって初のコンピレーション・アルバム、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの『グレイテスト・ヒッツ』です。

このアルバムは、1967年に発表された2ndアルバム『ダンス・トゥ・ザ・ミュージック』から1969年の4thアルバム『スタンド!』の収録曲で構成されていて、全米R&Bチャートでは1位を獲得する大ヒットアルバムとなりました。
また、カナダで10位、日本でもオリコン164位を記録しています。

シングルリリースされたM9(c/wはM5)は全米2位、年間チャートでも全米7位を記録、また、両A面シングルとしてリリースされたM12(c/wはM2)は、全米1位を獲得する大ヒットとなりました。

その一方で、麻薬中毒に侵されていった彼は、サンフランシスコからロサンゼルスに転居後まもなく、スターダムへと上り詰めた代償としての商業的な圧力や、黒人解放運動家組織からの圧力から、白人のメンバーをバンドから追い出すなど、精神的混乱をきたして奇行も目立つようになっていくのでした。

全盛期のヒット曲を簡潔に網羅しているこのアルバムは、暗い影が忍び寄ってくる以前の、ピースフルな彼を堪能できる一枚です。